「アルコール」という言葉、いま思い浮かべるのは、お酒だったり、消毒液のツンとしたにおいだったり。酔わせる成分か、手指を清める液体か——どちらにしても、液体の名前です。

でも語源をたどると、これは液体ですらありませんでした。はるか中世のアラビアで、人が目もとに塗っていた、黒い化粧の粉。酒とはまるで無縁の一語だったんです。

第1話 · 目もとを塗る、黒い粉

もとの形は、アラビア語のal-kuḥl(アル・クフル)

al-kuḥl(アル・クフル)=「その、目に塗る黒い粉」。al は「その」を指す定冠詞、kuḥl はアンチモンを砕いた化粧墨——アラビア語

kuḥl は、鉱石を細かく砕いてつくる化粧墨(けしょうずみ)。いまで言うアイライナーです。まぶたの縁に塗って目もとを濃く見せる、古代エジプト以来の化粧です。語根は、そのまま「目を塗る」。頭にくっついた al は、英語の the にあたる定冠詞。つまり al-kuḥl は、「その粉」。

面白いのは、この粉が「この上なく細かく精製されたもの」の代名詞でもあったこと。石を砕いて砕いて、いちばん細かくした粉。その「極限まで精製した」という手ざわりが、のちの運命を決めていきます。

第2話 · 錬金術が、名をさらう

中世、アラビアの化学の知識は、スペインのトレドあたりでラテン語に訳され、ヨーロッパへ流れ込みます。そのとき al-kuḥl も、錬金術師たちの手に渡りました。

彼らにかかると、言葉の意味がふくらんでいきます。はじめは「アンチモンの粉」。やがて、昇華——固体を熱して気体にし、また固めて取り出す操作——で得た、どんな極微の粉をも指すようになる。さらには物質を「これ以上ないほど純粋にした精髄(エッセンス)」そのものを、al-cohol と呼ぶようになったのです。

目の化粧の粉は、こうして「いちばん澄んだもの」の名になりました。

第3話 · この世で、いちばん澄んだもの

粉から液体へ、大きく踏み出したのが、十六世紀の医師で錬金術師のパラケルススでした。

いちばん細かい粉を指した言葉を、彼は、いちばん純粋な液体のほうへ当てはめます。物質を熱して、立ちのぼる気だけを冷やして集める——蒸留。その蒸留でぶどう酒から取り出した、火のように澄んだ一滴。これを彼はalcohol vini(ぶどう酒のアルコール)、すなわち「ぶどう酒の精」と呼びました。

もう、粉ではありません。「あるものの、いちばん純粋な核」。それが、この一語の指すものになったのです。

第4話 · そして、酔わせる一滴に

「ぶどう酒のアルコール」——酒精(spirit of wine)。それはやがて、vini(ぶどう酒の)を落として、ただ alcohol とだけ呼ばれるようになります。

十八世紀、この一語は「強い酒で人を酔わせている、あの成分」を指すようになりました。目の粉でも、精髄でもなく、酔いのもと。さらに近代の化学が、同じ仲間の化合物すべてをこう呼ぶことにして、いまの「アルコール」ができあがります。

ちなみに、砕いた黒い化粧墨のほうも、英語にkohl(コフル)として残り、いまもアイメイクの名前です。アルコールとコフル——酔わせる液体と、目もとの粉。この二つは、もとは同じ一語でした。(そういえばコーヒーも、同じくアラビア語から旅してきた一語です。)

消毒液のにおいをかぐとき、その名の奥に、はるか昔に誰かが目もとへ塗った黒い粉のきらめきが——ほんの少しだけ、隠れているのかもしれません。