「コーヒー」という言葉、いま使うのは、朝の一杯だったり、待ち合わせの「ちょっとお茶でも」だったり。カフェの看板にも缶にも、あたりまえに並んでいる一語です。

でも語源をたどると、これははるかアラビア語で、もともと「酒」を指した言葉でした。エチオピアの木の実がその名をもらい、トルコからオランダへわたって、江戸時代の長崎にたどり着く——ずいぶん長い旅をしてきた一語なんです。

第1話 · アラビアの一語

もとの形は、アラビア語のカフワ(qahwa/قهوة)

面白いのは、この語がもともと、コーヒーではなく——ぶどう酒を指す呼び名の一つだったことです。アラビアの辞書学者たちは、その由来を「食欲をなくす」という意味の動詞にさかのぼらせました。酒を口にすると、ものが食べたくなくなる。「腹を空かせなくするもの」、それがカフワだ、というわけです。

やがて同じ名が、黒い飲み物のほうへ移っていきます。眠気も食欲も遠ざけるという点で、たしかに酒と似た働きをする一杯でした。ただし語源には別の見方もあって、エチオピアの地名「カッファ」に結びつける説もあります。どれが正しいのか、まだ決着はついていません。

第2話 · 夜を明かすために

コーヒーの木のふるさとは、エチオピア。その実が紅海をわたり、イエメンで栽培されるようになります。

有名な発見譚があります。物語では9世紀ごろ、山羊飼いの少年が、赤い実を食べた山羊たちが夜通し跳ねまわるのを見て、その実に気づいた——というカルディの話。ただしこれは、17世紀のヨーロッパで初めて書きとめられた後世の作り話とされ、少年の名前にいたっては、20世紀に足されたものです。

たしかな記録のなかで、実を煮て飲みはじめたのは、15世紀イエメンのスーフィー——イスラム神秘主義の修行者たちでした。夜を徹して神の名を唱えるつとめに、眠気を払うこの一杯が欠かせなかった。アデンの法学者が広めたと、16世紀の記録は伝えています。

第3話 · 港から港へ

眠らずに祈れる飲み物は、メッカからカイロ、そしてオスマン帝国の都イスタンブールへと広がります。16世紀なかば、街には人が集って語らう場所——コーヒーハウスが生まれました。

言葉も、飲み物と一緒に旅をします。アラビア語のカフワは、トルコ語でkahve(カフヴェ)となり、そこからオランダ語 koffie、イタリア語 caffè、英語 coffee へと、ほぼ同じころ枝分かれしていきました。17世紀には、ヴェネツィアやロンドンにもコーヒーハウスが次々と開き、人びとは一杯を片手に新聞を読み、議論を交わすようになります。

第4話 · 出島に着いて

日本へは、オランダ語の koffie に乗ってやってきました。窓口は、長崎の出島

記録に残る最初の感想が、なかなか手厳しいのです。文人で狂歌師の大田南畝(おおたなんぽ)が、オランダ船で飲まされた一杯を、こう書き残しています。

紅毛船にてカウヒイといふものを勧む。豆を黒く炒りて粉にし、白糖を和したるものなり。焦げくさくして味ふるに堪ず——大田南畝『瓊浦又綴』

文化元年、1804年のこと。日本人が書きとめた、最初のコーヒーの一口だとされます。ずいぶんな言われようですが、無理もないのかもしれません。

その苦い黒水に、美しい漢字を当てたのが、蘭学者の宇田川榕菴(うだがわようあん)でした。珈琲。「珈」は女性が髪に挿す玉のかんざし(簪)、「琲」はその玉をつなぐ紐を指す字。枝に連なる赤い実を、揺れる簪の玉飾りに見立てたのだ——とされます。当て字の由来としては、これ以上ないほど洒落た一手でした。

エチオピアの木の実が、「酒」の名をもらい、修行者の夜を支え、いくつもの港を越えて、長崎で「珈琲」の字を得る。いま両手で包む一杯には、その長い道のりの湯気が、まだ立ちのぼっているのかもしれません。