「朝三暮四」という言葉、いま使うのは「言葉巧みに人を丸め込む」、または「目先の違いに惑わされる」あたり。どちらの立場から見るかで、ニュアンスが少し変わる、ふしぎな言葉です。

でも語源をたどると、これは古代中国の宋で、猿を可愛がっていた一人の老人と、彼の飼う猿たちのあいだに起こった、ちょっと滑稽で、どこかせつない、小さな出来事だったんです。

第1話 · 宋の狙公、猿を養う

舞台は紀元前四世紀ごろの中国・宋。狙公(そこう)と呼ばれる老人がいました。

「狙」は、猿を意味する漢字。狙公とは、つまり「猿を養う人」。たくさんの猿を、まるで家族のように可愛がっていた老人です。

自分の食べ物を減らしてでも、猿たちに十分なエサを与える。猿たちもまた、よく懐いていました。彼の表情、声の調子、ふとした仕草——狙公が何を考えているか、猿たちは、ほとんど分かっていた。

そんな穏やかな日々に、ある日、小さな波が立ちます。

第2話 · エサが、足りなくなる

国の景気か、家の事情か——とにかく、狙公の家計が苦しくなった。エサに使う橡(とち)の実が、どうしても足りない。

このままでは、猿たちに今までと同じ量を与えられない。だが、急に減らしたら、可愛がってきた猿たちが、暴れ出してしまうかもしれない。

狙公は、考え込みました。

合計を減らすのは、もはや仕方ない。だが、見せ方をひと工夫すれば、なんとか納得させられるのではないか

そして、猿たちを集めて、こう切り出します。

第3話 · 朝に三つ、暮れに四つ

「いいか、明日からは、エサの量を変える。朝に三つ、暮れに四つ——それで、どうだ」

それを聞いた猿たちは、一斉に怒り出しました。歯を剥き、騒ぎ、不満を露わにする。「朝に三つだなんて、少なすぎる!」

狙公は、しばし黙ったあと、ゆっくりと、こう言い直しました。

「では、こうしよう。朝に四つ、暮れに三つ。これでどうだ」

猿たちは、たちまち落ち着きました。喜び、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。「朝に四つ!それなら、満足だ」。

——合計は、変わっていません。朝三+暮四も、朝四+暮三も、ともに七つ

第4話 · 二つの典籍、二つの読み方

この話を残したのは、『列子』黄帝篇と、『荘子』斉物論篇。同じ寓話が、二つの古典で、すこし違う角度から語られます。

『列子』は、これを「狙公の知恵」として描きます。言葉と順序を入れ替えるだけで、相手を動かす——人を扱う、ひとつの巧み。

『荘子』は、これを哲学にしました。「朝三暮四も、朝四暮三も、合計は同じ。なのに猿は怒り、喜ぶ。本当の差がないところに、見え方の差が立つ——これは、人もまた、同じことだ」。

二千数百年経って、私たちのまわりにも、朝三暮四な瞬間は、いくらでもあります。給料の支払いの順、月末の請求書、選挙公約の言い回し——同じ合計のものを、別の順で見せられた途端、気持ちが、ほんの少し揺れる

宋の狙公の眼差しを、ふと借りられるかどうか——それで、見える世界が、ほんのちょっと変わる——のかもしれません。