「杞憂」という言葉、いま使うのはだいたい「取り越し苦労」「無用の心配」。「杞憂に終わってよかった」のように、起きてもいないことを心配してしまった、と振り返るときに出てくる一語です。
でも語源をたどると、これは古代中国の小国・杞で、実際に夜眠れなくなるほど天を心配した人がいた話、なんです。
第1話 · 杞の人、天を見上げて
舞台は戦国時代の中国。杞(き)という小国がありました。
杞は、もともと夏王朝の末裔が封じられた国とされ、当時としても歴史の古い土地。だがすでに国力は衰え、周りの大国に飲まれそうな、小さな国でした。
そんな杞に、ある人がいました。彼はある日、ふと夜空を見上げて、こんなことを考えてしまったのです。
「もし、天が落ちてきたら、どうしよう」
それから、夜は眠れなくなり、食事も喉を通らなくなった。仕事も手につかない。
第2話 · 友人、訪ねる
そんな彼を心配した友人が、ある日、家を訪ねてきます。
「君、近頃ふさぎ込んでいると聞いた。どうしたんだ?」
杞の人は、すべてを打ち明けます。天が落ちる、地が崩れる、もしそうなったら、自分はどこに身を寄せれば——。
友人は、しばらく考えてから、ゆっくりと答えました。
「天は、気の集まりに過ぎないんだ。気のない場所はない。きみは毎日、その気の中で呼吸し、歩いている。なのに、なぜ崩れることを心配する?」
第3話 · それでも、不安は続く
杞の人は、それでも問い返します。
「では、日月星はどうなのか。あれは気ではないだろう。落ちてきたら、どうする?」
友人は、答えます。
「日月星も、気の中の光に過ぎない。仮に落ちてきたとしても、誰かを傷つけられるほどの実体はない」
「では、地はどうだ。地が崩れたら?」
「地は、土塊が積もったものに過ぎない。四方を隙間なく満たしている。きみは毎日、その地を踏んで歩いている。崩れる場所など、どこにある?」
杞の人は、ここでようやく、長い息を吐きました。安堵の表情が、彼の顔に戻ります。友人も、彼の安堵を見て、ほっとした表情に。
第4話 · 列子が遺した、ひとつの問い
この話を書き残したのは、戦国時代の道家・列子(れっし)。
列子は、この杞の人の話の後にもうひとつ、長廬子(ちょうろし)という人物を登場させます。長廬子は問う——「天地は本当に崩れないとは限らないのではないか」。さらに列子自身が締めくくる——「天地が崩れるという者も、崩れないという者も、どちらも誤り。私たちには、分からない」。
つまり、列子の本当のメッセージは、「分からないことに、夜眠れなくなるほど心を悩ませる必要はない」、ということだったのかもしれません。
それが、二千年以上のあいだ、東アジアで「杞憂」という言葉として、残り続けている。
明日の天気を心配して眠れない夜。送ったメッセージの返信が来ない不安。あれもこれも、もしかすると——杞の国の、夜空を見上げてしまった、あの人の延長線上にある——のかもしれません。