「五十歩百歩」という言葉、いま使うのはだいたい「ほとんど差がない」「どっちもどっち」と言いたい場面。会議で似たり寄ったりの提案を見比べて、ため息混じりに出てくる、ちょっと辛口な一語です。
でも語源をたどると、これは戦国時代の中国で、ある王と一人の思想家が、戦場の例えを介して交わした問答から生まれた言葉なんです。
第1話 · 梁の恵王、ちょっと自慢する
舞台は紀元前 320 年ごろ。戦国七雄のひとつ、魏の国です。
魏は当時、都を東の大梁(いまの河南省開封)に移していて、王自身も「梁の恵王」と呼ばれていました。諸国を渡り歩く儒家の思想家・孟子(もうし)が、この梁を訪れます。王が客間に招き入れ、対話が始まりました。
恵王は、ちょっと自慢げに切り出しました。
「私は、この国のために、心を尽くしている。河内が凶作になれば民を河東に移して食わせ、河東が凶作になれば、逆に河内へ粟を送る。これほど工夫をしている王は、他にいないはずだ」
そう言ってから、ふと表情を曇らせて、こう続けます。
「ところが——隣国の民は減らず、私の民は増えない。これは、なぜだろう?」
第2話 · 戦場、ふたりの逃げる兵
孟子は、しばらく沈黙してから、こう答えました。
「王は、戦をお好みのようですから、戦のほうから譬えでお話しします」
——太鼓が鳴り、戦の始まりを告げる。兵と兵がぶつかり合った瞬間、鎧を脱ぎ捨て、武器を引きずって逃げ出す者が出る。
ある者は百歩逃げて、ようやく足を止めた。 ある者は五十歩逃げて、ぴたりと立ち止まる。
ここで孟子は、王の目を真っすぐ見ました。
「では——五十歩で止まった兵が、百歩で止まった兵を『あいつは臆病者だ』と笑ったとしたら、王はどうお思いになりますか?」
第3話 · 王、自分の答えに、つまずく
恵王は、即答しました。
「不可(だめだ)。百歩走っていないだけで、走ったことに変わりはない」
孟子は、軽くうなずいただけです。間が、ひとつ落ちます。
——その沈黙のなかで、恵王はようやく気づきます。
自分が口にした答えと、自分の政治の話が、ぴったり重なってしまった。先ほどまで自慢げだった顔が、ふっと曇る。
孟子のまなざしは、変わりません。ただ静かに、王の表情だけを見ていました。
第4話 · ふたつの政治、ひとつの結論
「王が、それをご理解いただけるのでしたら——」
孟子は、ようやく口を開きました。
「隣国より民が多くなることを、望まれないことです」
王の凶作対応は、なるほど丁寧かもしれない。けれど、それは「民を本気で慈しむ政治」のほんの一歩。隣国の王が動かないのが百歩なら、王の凶作対応は五十歩。距離は違っても、走った事実は同じ——孟子が言いたかったのは、そういうことでした。
恵王が黙り込んだまま、対話はここで途切れます。その先は『孟子』にも書かれていません。けれど、この日の問答は、後の『孟子』梁恵王上篇の冒頭近くに書き残されることになります。
孟子の哲学そのものより、戦場で逃げる兵のシンプルな絵だけが、二千年以上のあいだ、日中韓のことばに残った。市場の口上が「矛盾」を残したのと、ちょうど重なるかたちで。
自分はマシだ、と思っているとき。比べる相手より一歩でも前にいる、と感じているとき。ふと耳のそばで、戦場で武器を引きずる音が聞こえる——その音の名前が、「五十歩百歩」です。