「大丈夫」という言葉、いま使うのはだいたい「問題ない」「安心」。「大丈夫?」と訊ねるとき、私たちは相手の無事を確かめている、または自分の決断を確認している。
でも語源をたどると、これは戦国時代の中国で、孟子が説いた「真に立派な男」のことだったんです。
第1話 · 戦国の縦横家、もてはやされる
舞台は紀元前 320 年ごろの中国。戦国時代の真っ最中、各国を渡り歩いて外交策を売る男たちがいました。彼らを縦横家(じゅうおうか)と呼びます。
合従策で諸国を秦に対抗させたり、連衡策で秦に従属させたり——外交だけで国の運命を変える。それが縦横家の腕でした。
なかでも有名だったのが、公孫衍(こうそんえん)と張儀(ちょうぎ)。
二人とも、一言で各国の王を動かす。怒れば諸侯がふるえ、笑えば天下が安定する——そう言われた、当代きっての切れ者でした。
人々は、こんな彼らを称えて、こう言いました。
「公孫衍と張儀こそが、本物の大丈夫(だいじょうぶ)ではないか」
第2話 · 孟子、首を振る
それを聞いた孟子(もうし)は、ふっと笑って首を振りました。儒家の思想家。「人は本来、善である」と説く一方で、君子の理想像も丁寧に語った人です。
「いや、あれは大丈夫ではない」
居合わせた人が、訊ねかえします。
「では、真の大丈夫とは、何ですか?」
孟子は、ゆっくりと答えました。
「天下の広い場所に住み、正しい位置に立ち、大きな道を行く。志を得たら民とともに歩み、得られなければ独り道を行く。そして——富貴に淫せず、貧賤に屈せず、威武に屈せず。これを、大丈夫と呼ぶ」
公孫衍と張儀は、外交家として権勢を振るったけれど、彼らの動機は地位と褒美。孟子の目には、それは大丈夫の道ではなかったのです。
第3話 · 日本に渡って、意味がほぐれる
この「大丈夫」が、海を渡って日本に来ます。
中国の文献で読まれた当初は、孟子の説いたまま「立派な男」「堂々たる人物」。武家社会でも、人物評として「あの男は大丈夫だ」と使われ続けていました。
ところが、日本の言葉として広まる過程で、ニュアンスが少しずつ変わっていきます。
「立派な男」→「強い人」→「強い・頑丈」→「確実・間違いない」。
漢字の意味から、含意の方が前に出てきた。「あの男は大丈夫」が「あの仕事は大丈夫」へ。やがて「大丈夫」は、人格ではなく状況を指す言葉になった。
第4話 · いまの「問題ない」へ
明治・大正・昭和を経て、「大丈夫」はさらに軽くなりました。
「危なくない」「問題ない」「安心」——そして現代では、「大丈夫?」が「いや、結構です」を意味することもある。
孟子の説いた富貴に淫せず、貧賤に屈せず、威武に屈せずは、もうそこにはありません。
それでも私たちは、毎日「大丈夫」と言い、また言われている。
二千三百年前、戦国時代の中国で、孟子が「真に立派な男」と呼んだ言葉が——いまも、コンビニの会計で、メッセージの返信で、深夜の電話の向こうで、軽く、やわらかく、生きている。
ほんの少しだけ、あの孟子の理想を、ふと思い出してもいい——のかもしれません。