「我慢」という言葉、いま使うのはだいたい「耐え忍ぶ」「辛抱する」。「もう少しの我慢」「我慢の限界」——日々の苦しさを、ふっと、こらえる一語です。

でも漢字を眺めてみると、「我」の「慢」と書く。慢心の慢。これがもともと、自分を立てる「自惚れ」を意味する仏教語だったと知るとちょっと驚きます。

第1話 · 七慢——仏教の、七つの慢心

まず、仏教の文脈から。

インドの仏教論書には、「慢(まん)」を細かく分類する伝統があります。代表的なのが、説一切有部の主要論書『倶舎論』巻十九「分別随眠品」が説く七慢——

慢・過慢・慢過慢・我慢・増上慢・卑慢・邪慢

ざっくりかみくだくと、こうです。

このうちの四つ目が、いま日本語で日常使う「我慢」です。

仏教の見立てでは、人は本来「我」というかたまりを持たない。けれど五蘊の集まりを「これが私だ」と握ってしまうと、そこから他人と比べたり、自分を立てたりする心が芽吹いてくる。「我」を立てる、それ自体が慢心の根——それが、もとの「我慢」です。

『法華経』「方便品」では、釈尊が舎利弗の請いに応じて法を説きはじめようとしたまさにその瞬間、自分はもう悟っていると勘違いした五千人が、席を立って去っていく場面が描かれます。釈尊はこれを制止せず、「退くもまた佳し」とだけ述べた——増上慢の者たちです。仏典の世界では、慢は一貫して退けるべきものでした。

第2話 · 中世日本——「我慢」のままの仏教語

この「我慢」が日本に入ってきたのは、奈良〜平安期の仏典の伝来とともに。

中世のあいだ、「我慢」は基本的に仏教用語のまま使われていきます。鎌倉から室町の説話・語録には、「我慢を捨てよ」「我慢の心を起こすな」——というかたちが見られます。

意味は、もちろん「自我への執着・傲慢」のほう。「我慢の心を起こすな」と説かれるとき、それは「耐えるな」ではなく、「自惚れるな」の意味です。

決定的な傍証が、慶長八年(1603 年)にイエズス会の宣教師たちが編んだ『日葡辞書』。長崎で刊行された日本語=ポルトガル語の辞書で、当時の口語をそのまま写しています。そこに、こんな記述が残っている。

Gaman(がまん):傲慢、自惚れ、自分を高く見ること

つまり、十七世紀のはじめでも、「我慢」は「自惚れ」「傲慢」の意味でした。「耐え忍ぶ」の含意は、まだ前面に出てきていない。

第3話 · 「強情」を経由して、「耐える」へ

ここから、意味のスライドが起こります。

「我慢」が「自我を立てる」、そこから「強情を張る」——ここまでは、まだ近い。「自分の主張を曲げない」「意地を通す」というニュアンスへ、自然に滑っていく。江戸期の俳諧や浮世草子では、「我慢を立てる」「我慢な男」のように、「意地っぱり」の意味で使われる例が増えてきます。

そして、もう一歩。

「意地を張る」姿は、外から見れば、痛みや苦しさをこらえている姿でもあった。歯を食いしばって主張を曲げない男は、同時に、歯を食いしばって苦痛を呑んでいるようにも見える。

「我慢している」が、「強情を張っている」から、「苦しさをこらえている」へ——意味の重心が、立てる側から、こらえる側へとゆっくり移っていく。

江戸中期から後期にかけて、「我慢」は「痛みや欲望に耐える」の意で広く使われるようになります。仏典の「我」「慢」の含意は、もはや前面には残らない。「自惚れるな」と諭していた言葉が、「耐えなさい」と励ます言葉に翻ったのです。

第4話 · ふと、「我」を思い出してもいい

意味の宙返り、と言いたくなるくらい、もとと今とで、向きが反対の言葉です。

それでも、よく考えてみると、根のところでつながってもいる。

苦しさを表に出さずに呑むには、「自分」を立てている必要がある。涙を見せない、弱音を吐かない、痛みを口にしない——その背中を支えているのは、もとの「我」の固さでもあるからです。

仏教の見立てでは、本来「我」は捨てるべきものでした。けれど日本語の日常では、「我」を一時的に立て直すための言葉として、「我慢」は今も日々口にされている。「我慢する」と言うたび、自分のなかに、ちょっとだけ「我」を立て直しているのかもしれません。

「もう少しの我慢」——その「我」が、ふと、どこから来た一文字なのか、思い出してもいい——のかもしれません。