「挨拶(あいさつ)」という言葉、いま使うのは、たいてい穏やかな場面です。「おはようございます」「お世話になっております」——人と人のあいだを、するりとなめらかにする一語。

でも漢字を眺めてみると、「挨」も「拶」も、この熟語以外ではまず見かけない字です。そして両方とも、意味は押す。もとは、ぶつかり合いの言葉でした。

第1話 · 背中を、どんと打つ

」を『説文解字』はこう説きます。「撃背なり」——背中をどんと打つ。そこから「押す」「押し分けて近づく」へ広がりました。いまの中国語の「挨家挨戸(一軒ずつ)」にも、押していく感じが残っています。

」のほうは、逼(せま)る。押し迫る。唐の韓愈は、降りしきる雪を「相排拶(あいはいさつ)す」——押し合いへし合いする——と詠みました。

合わせて「挨拶」は、押して、迫ること。字面だけ見れば、朝の一礼というより、満員電車のほうが近い。

第2話 · 玉は火で、剣は毛で

この二字を手に取ったのが、禅の修行者たちでした。

宋の禅僧・圜悟克勤(えんごこくごん)が、先人の雪竇重顕(せっちょうじゅうけん)の選んだ百則の公案に注釈を重ねた『碧巌録』(1125 年)。その第二十三則の頭に置かれた前口上(垂示・すいじ)に、こうあります。

玉は火をもって試し、金は石をもって試し、剣は毛をもって試し、水は杖をもって試す。……一言一句、一機一境、一出一入、一挨一拶、深浅を見んと要し、向背を見んことを要す

玉は火に。金は石に。剣は毛に。水は杖に。そして禅僧は、挨拶に。ずらりと並んだ「試すためのもの」の最後に、この一挨一拶(いちあいいっさつ)が置かれています。押し合いは、相手の底を測るための道具でした。

第3話 · 妙峰の頂で

では、その押し合いは実際どんなものだったのか。垂示に続く本則(ほんそく)——その回の公案そのものが、いかにも禅らしい。

雪峰義存(せっぽうぎぞん)に学んだ兄弟弟子、保福(ほうふく)と長慶(ちょうけい)が、山を歩いていました。保福が手をあげて指す。「ここが、そのまま妙峰(みょうほう)の頂だ」。妙峰は『華厳経』の山。徳雲(とくうん)という修行者がそこから降りてこなかった、悟りそのものを指す場所です。

長慶が返します。「そうではある。だが、惜しい」。認めはする。けれど、そこには乗らない。まともに受けとめず、すっと外して返したわけです。

後にこの話を聞いた鏡清(きょうせい)が、ひとこと。

孫公でなかったなら、髑髏(どくろ)が野に満ちていたろう

孫公とは、長慶の俗姓「孫」を敬った呼び方。禅の問答では、相手の言葉に呑み込まれた者を「死んだ」と見ます。長慶があそこで受けとめてしまっていたら、その場は屍だらけだった——つまり、最上級の賛辞です。挨拶とは、そういう場所の言葉でした。

第4話 · ゆるんでいく二字

鎌倉期、禅宗とともにこの語も日本へ渡ります。室町中期の辞書『文明本節用集』は、まだ禅の語義のまま載せている。

ゆるみはじめるのは、そのあたりからです。室町の書状には「是非の挨拶はこれなく候」——返事がない、の意で顔を出す。押し問答から、ただの応答へ。同じころの狂言の台本には「心得てあいさつをせい」とあって、もう出会いの礼です。慶長八年(1603 年)の『日葡辞書』にいたっては「挨拶のよい人」を、客あしらいのよい人、気の合った仲間、と訳しています。

江戸には「挨拶は時の氏神」ということわざも生まれました。ここでの挨拶は仲裁のこと。喧嘩の間に割って入る人を、ちょうどよく現れた氏神と思え、という意味です。

そして時候の挨拶、挨拶状、挨拶回り。押す力は、すっかり抜けました。

ただ、ひと粒だけ尖ったまま残っている言い方があります。失礼なことを言われたときの、「それはご挨拶だね」。あれだけは、いまでも角が立っている。

山道の二人は、ことばで押し合っていました。私たちは毎朝、同じ二字を、押さないために使っています。