「阿吽の呼吸」という言い方、いまも普通に使います。言葉を交わさなくても、ぴたりと息が合う。長年連れ添った夫婦や、名コンビの仕事ぶりを指す一語です。

でも「阿吽」って、そもそも何なのか。語源をたどると、これはサンスクリットの「最初の音」と「最後の音」で、宇宙の始まりと終わりを背負った、ずいぶんスケールの大きな言葉なんです。

第1話 · 最初の音と、最後の音

「阿吽」は、古代インドの言葉・サンスクリット(梵語)から来ています。

阿(あ)」は、梵語の字母表のいちばん最初にある音。口を大きく開いて、喉の奥から自然に出る「a」の音です。いっぽう「吽(うん)」は、口をしっかり閉じて出す「hūṃ」の音で、締めくくりの音——最後の音——とされました。つまり阿吽とは、音の世界の「最初」と「最後」を並べた言葉なのです。

実は、日本語の五十音図の並びにも、梵語の音を研究する「悉曇学(しったんがく)」——お経の言葉を正しく読むために、日本の僧たちが熱心に学んだ学問——の影響があった、と言われています。「あいうえお」の段の順も、もとをたどれば梵語の音の並び。図に収まらない「ん」がのちに末尾へ添えられて、五十音は「あ」に始まり「ん」に終わるかたちになりました。

第2話 · 始まりと終わりの、あいだの全部

仏教、とくに密教は、この二つの音に深い意味を持たせました。

口を開いて発する「阿」は、万物の始まり・根源。口を閉じて収める「吽」は、一切が帰っていく終わり。始まりと終わりをひと組にすれば、そのあいだにある森羅万象——世界のすべてを、たった二音で言い表せる、というわけです。

平安時代のはじめ、唐から密教を持ち帰った空海には、『吽字義(うんじぎ)』という著作があります。「吽」というたった一字の意味を、一冊まるごと使って掘り下げた本。それほどまでに、この音は重いものだったのです。

第3話 · 仁王と狛犬は、なぜ二体一組か

この「阿吽」を、目に見えるかたちにしたものが、お寺の門に立つ仁王像(金剛力士像)です。

東大寺南大門の金剛力士像を思い浮かべると、たしかに一体は口を開き、一体は結んでいます。神社の狛犬も同じで、片方は口を開け、片方は閉じる。始まりから終わりまで——つまり一切を見張って護る。二体一組には、そういう意味が込められていると説明されます。

第4話 · 「呼吸」になった

さて、いつも二体でひと組、開く口と閉じる口。ここから「阿吽」は、対になった二者の、息の合いようを指すようになっていきます。

吐く息と吸う息、呼吸の出入りもまた「阿吽」。やがて「阿吽の呼吸」——ふたりの人間が、示し合わせたわけでもないのに、ぴたりと調子を合わせる、あの間合いの意味に落ち着きました。土俵の上で、ふたりの力士の呼吸が合った瞬間に立ち合いが成立する——相撲の世界はその代表でしょう。

宇宙の始まりと終わりを背負っていた二つの音が、日本では門の左右に分かれて立ち、やがて名コンビの「息」になった。

考えてみれば、私たちは毎日、「あ」から「ん」までの音でしゃべっています。阿吽のあいだで暮らしている、と言えなくもありません——なんて言うと、空海に叱られるでしょうか。