「いい塩梅(あんばい)」。ちょうどいい加減、ほどよい具合のことです。

ところでこの「塩」の字、ふだんは「えん」か「しお」で、「あん」とは読みません。塩を「あん」と読む言葉は、塩梅とそこから出た言い回しのほかに、まず見当たらない。

字は中国の古典から、音は別の言葉から。二つが日本で合流して、いまの「あんばい」になりました。

第1話 · 土木の現場から来た宰相

話は古代中国、殷(いん)の王・武丁(ぶてい)から始まります。

『書経』によれば、武丁は即位してからも口を閉ざし、政治の道を考え続けていました。そしてある夜、天帝から優れた補佐役を授かる夢を見る。王は、夢に見たその人の顔を絵に描かせ、国じゅうを探させました。見つかったのは、傅巌(ふがん)の野で土を突き固め、壁を築いていた男。名を傅説(ふえつ)といいます。『史記』は、このとき傅説は罪を受けて労役に就いていた、とまで書いています。王は彼を宰相に立てました。

その傅説に、王はこう頼みます。

もし酒醴(しゅれい)を作らば、爾(なんじ)はこれ麴糵(きくげつ)。もし和羹(わこう)を作らば、爾はこれ塩梅(『書経』説命下)

麴糵は、酒を仕込むこうじと、もやし。和羹は、具を合わせて味を調えたスープのことです。お前がいなければ、私の政治は仕上がらない。宰相を、調味料にたとえたわけです。

ただ、この説命の篇は後の時代に作られたとみる説が有力です。王の言葉そのものというより、そう語り継がれた言葉として読んでおきましょう。

第2話 · 水に水を足しても

では、梅は何をしていたのか。

古い注釈の答えは短いものです。塩は鹹(しおから)く、梅は酢(す)っぱい。スープには、しょっぱさと酸っぱさの両方が要る。梅は酸味の担当でした。殷の終わりから周の初めごろの墓では、青銅の鼎(かなえ)のなかに、獣の骨といっしょに梅の種が残っていた例も見つかっています。

塩と梅は、混ぜ合わせた一つの調味料ではなく、別々の二つの味です。この「別々」であることこそが大事だ、と説いた人がいます。春秋時代の斉の宰相、晏子(あんし)です。

主君の景公が「わしと心が和しているのは梁丘據(りょうきゅうきょ)だけだ」と言うと、晏子は、あれは同じなだけで和ではありません、と返しました。和とは羹のようなもの。水、火、酢、ひしお、塩、梅で魚や肉を煮て、足りない味を補い、過ぎた味を抜くことだ、と。

もし水をもって水を済(ま)さば、誰か能(よ)くこれを食らわん(『春秋左氏伝』昭公二十年)

水に水を足したスープを、誰が飲むでしょう。塩梅とは、違う味を合わせて、ちょうどよくすることでした。

第3話 · 日本では、まず政治の言葉

日本に入った「塩梅」は、はじめ「えんばい」と読まれました。そして記録に残るのは、料理より先に政治の意味です。

751 年の漢詩集『懐風藻』。藤原史(ふひと)——不比等とも書きます——の詩に、君主を助けて国を治めるという意味で「塩梅」が出てきます。宰相のたとえが、そのまま海を渡ってきたわけです。

調味料そのものを指す例は、十世紀の辞書『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』から。ここには「塩梅類」という部立てがあって、酢、醤(ひしお)、未醤(みそ)などが並びます。ところが、梅そのものは入っていません。名前だけが、調味料全体の呼び名になっていました。

味の加減の意味が見えてくるのは、『吾妻鏡』の 1184 年の記事からです。

第4話 · 塩を、あんと読む

一方、日本には「あんばい」と読む、まったく別の言葉がありました。按排(あんばい)です。出どころは『荘子』の「安排」とされ、日本では、ほどよく並べる、うまく処理する、の意味で使われていました。

味をほどよく調える「えんばい」と、物事をほどよく並べる「あんばい」。意味が近すぎました。『日本国語大辞典』によれば、二つは中世の終わりから近世の初めにかけて混同され、室町時代の末の御伽草子には、料理の加減を「あんばい」と言う例が出てきます。1746 年の浄瑠璃『菅原伝授手習鑑』では、「塩梅」の二字に「あんばい」と振り仮名がついている。

「えんばい」がなまったとする辞書もありますが、『日本国語大辞典』も『デジタル大辞泉』も、混同と見ています。字は『書経』から。この見立てに立てば、音は『荘子』から。塩を「あん」と読むのは、その合流の跡です。

そこから先は、物事の具合へ、体の具合へと広がりました。新聞がいまも「あんばい」とかなで書くのは、常用漢字表に塩の「あん」という読みがないからです。

宰相をたとえた味の名が、日本で、よく似た別の言葉と重なって、いまの読みになったと見られています。