「醍醐味(だいごみ)」といえば、ものごとの本当のおもしろさ。「旅の醍醐味」「読書の醍醐味」——いちばん味の濃いところ、の意味です。

ただ、この「醍醐」、もとはたとえではありません。ほんとうに口に入れる食べものでした。しかも、それが何だったのかは、いまも分かっていません。

第1話 · 牛から、五つの段階

出典は『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』。北涼(ほくりょう)の曇無讖(どんむしん)が訳した四十巻本の、巻十四「聖行品(しょうぎょうぼん)」にこうあります。

たとえば牛より乳を出し、乳より酪(らく)を出し、酪より生酥(しょうそ)を出し、生酥より熟酥(じゅくそ)を出し、熟酥より醍醐を出す。醍醐は最上なり——譬如從牛出乳、從乳出酪、從酪出生酥、從生酥出熟酥、從熟酥出醍醐、醍醐最上(『大般涅槃経』聖行品)

乳・酪・生酥・熟酥・醍醐。五つの味が並ぶので、これを五味(ごみ)。煮つめ、発酵させ、脂を分け、また煮つめる。手をかけるたび量は減り、濃さだけが残ります。醍醐は、飲めばあらゆる病が除かれるとも書かれている。

経はこの列を、そのまま仏の教えに重ねます。十二部経から修多羅(しゅたら)、方等経、般若とつづき、最後の大涅槃が醍醐にあたる。「醍醐と言うは、仏性に喩(たと)うるなり」——そう書いています。

第2話 · では、それは何だったのか

梵語(ぼんご)ではサルピルマンダ。澄ましバターを指す sarpis に、「上澄み」の maṇḍa がついた形です。インドでいまも使うギーがその澄ましバターにあたりますが、ギー自体は五味では四段目の熟酥なので、醍醐はさらにその上、ということになります。昭和の再現実験では熟酥から自然に分かれる透明な黄色い油とされましたが、チーズのような固形物とする説も、濃く煮つめた乳の飲みものとする説もあり、決着していません。

似た名前のものなら、日本にも来ていました。蘇(そ)です。『延喜式』は生乳一斗から蘇一升の比率を定め、諸国が順に納める仕組みまで決めています。ただし作り方は違い、牛の乳をひたすら煮つめたもの。五味の酥とは別の、日本独自の乳製品だったようです。

そして醍醐のほうは、名前だけが渡ってきました。平安の辞書『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』に項目はあるのに、この国で作られた形跡がない。

第3話 · 教えを、五段に並べる

経がみずから示したこの対応を、経典ぜんたいの見取り図にまで広げたのが、陳から隋の智顗(ちぎ)——天台大師——にはじまる天台の教判(きょうはん)です。ただし、これが「五時八教」という枠にまとまるのは後の世の整理だ、という議論もあります。

膨大な経典を、どれを捨てるかで争わず、釈迦が説いた順番に並べ直す。華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃の五つの段階に並べ、それぞれに五味を当てました。乳から始まって酪、生酥、熟酥と濃くなり、いちばん最後の法華涅槃が「醍醐味」。

深いものほど、後から出す。最上のものは、はじめではなく終わりに置かれる。

第4話 · 味が、また味に戻る

日本語のなかで、この言葉は行ったり来たりします。『精選版 日本国語大辞典』の用例では、鎌倉のころはまだそっくり仏教の語。日蓮も 1275 年の『撰時抄(せんじしょう)』に、法華経を醍醐味と呼ぶのは中国の陳・隋の代からだと書いています。

ところが元禄 12 年(1699)の浄瑠璃になると、「日本一のだいごみ」がごちそうを指す。教えのたとえから、また食べものの味へ降りてくる。そこから味わう対象が広がって、昭和の小説には「色恋の醍醐味」。ものごとの本当のおもしろさ、といういまの使い方です。

時代はさかのぼりますが、京都の醍醐寺の名も、土地の神が湧き水を「ああ醍醐味なるかな」と味わった、という『醍醐寺縁起』の伝え。醍醐天皇の追号も、その寺のそばの陵(みささぎ)の地名から、と伝わります。

五度、手をかけて、最後に残るのはひとすくい。

「旅の醍醐味」と言うとき、私たちは、いまだ正体の知れないその一滴の名前を、ずいぶん気軽に口にしています。