「出世」という言葉、いま使うのはだいたい仕事の話。昇進した、役職が上がった、世に認められた——「彼は出世した」と言えば、組織や社会のなかで上のほうへ昇っていくこと、ですよね。

でも語源をたどると、これは正反対の意味でした。もとは仏教の言葉で——俗世を捨てて出ていくこと。世で勝ち上がるどころか、世を降りる側の言葉だったんです。

第1話 · 世間を、出る

仏教には、世間(せけん)という言葉があります。私たちが生きている、迷いと欲にまみれたこの世界のこと。

その世間を出て、迷いを離れ、悟りの側へ渡っていく——それを仏教では「出世間(しゅっせけん)」と呼びました。出家して修行に入ることも、煩悩を超えた境地も、ぜんぶこの「世間を出る」という方向を向いている。

だから本来、「出世」とは俗世から降りること。地位や財産を追いかけるのとは、まるきり逆を向いた言葉でした。

第2話 · 仏が、世に出る

ところが「出世」という二字には、もうひとつの顔があります。

仏は、迷える人々を救うために、わざわざこの世界に姿を現す。その仏がこの世に出現することも、また「出世」と呼ばれました。『法華経』には、こう説かれています。

諸仏世尊は、唯だ一大事の因縁を以ての故に、世に出現したもう——諸佛世尊、唯以一大事因縁故、出現於世(法華経・方便品)

世を「出る」道と、世に「出る」仏。同じ二字が、ちょうど裏表のように二つの意味を抱えていた。この二重性が、のちの大きな転回への入口になります。

第3話 · 僧が、世に出る

時代は下って、日本。

仏教が広まると、「出世」はすぐれた僧が世に出ること、とくに朝廷から高い僧位を授かって栄えることを指すようになります。修行の世界のなかでの、栄達。

ここで言葉の重心が、そっと動きました。「世間を出る」だったはずの出世が、「仏門という世で、上に出る」へ。降りていくはずだった矢印が、昇る方向へ向きを変えはじめる。

やがて武家の世になると、出世は仏門の外へも広がり、主君に取り立てられて身分が上がることをも指すようになっていきました。

第4話 · 立身出世へ

決定的だったのは、明治。

西洋から「身を立て、みずからを助けて成功する」という考え方が、どっと流れ込みます。中村正直が訳した『西国立志編』——イギリスのスマイルズ “Self-Help” は大ベストセラーになり、福沢諭吉の説く学問とともに、「努力して身を立てよ」という空気を、時代いっぱいに広げました。

このころ「立身出世」という四字が、近代日本の合言葉になります。出世はもう、仏とも、俗世を出ることとも関係なく、世俗での成功そのものを指す言葉になりました。

世間を出るはずだった言葉が、世間で勝ち上がる言葉へ。ほぼ正反対の意味へ裏返って、いまも私たちは「出世した」「出世コース」と口にしている。

俗世を捨てる仏の道だった「出世」が、いつのまにか、いちばん俗っぽい成功の名前になった。考えてみれば、この言葉じたいが、長い時をかけて、いちばん見事に出世してしまった——のかもしれません。