「断腸の思い(だんちょうのおもい)」——身を切られるようにつらい決断をしたとき、私たちはこう言います。「断腸の思いで手放しました」「断腸の思いですが、辞退いたします」。
はらわたが断ち切れるほどの悲しみ、という比喩です。ただ、この言葉と一緒に語られてきた話では、それは比喩ではありませんでした。
第1話 · 蜀へ向かう船
東晋の永和二年(346年)の冬。桓温(かんおん)という武将が、軍を率いて長江をさかのぼっていました。目指すのは蜀の地。四十年あまり続いていた成漢という国を、討ちに行くところです。
船が分け入っていくのは、切り立った崖が延々と続く三峡(さんきょう)。昔から、猿の声で知られた場所でした。のちの地理書『水経注』は、その地の漁師の歌をこう書きとめています。
巴東の三峡 巫峡長し、猿鳴三声 涙 裳(もすそ)を沾(うるお)す——巴東三峽巫峽長、猿鳴三聲淚沾裳(『水経注』江水)
その峡谷で、兵の一人が子猿を一匹つかまえ、船に乗せました。
第2話 · 岸を、追う
母猿が気づきます。岸に沿って、鳴きながら船を追いはじめた。
船は流れをさかのぼり、岸は切り立って足場も悪い。それでも母猿は離れませんでした。その距離、百余里。数十キロを、ひたすら岸伝いに走り続けたことになります。
そしてついに、船へ跳び移った。届いた——と思った次の瞬間、母猿はその場で息絶えました。
第3話 · 腹を割いてみる
兵たちは、その体を割いて中をあらためます。
破りて其の腹中を視るに、腸皆寸寸に断(た)えたり——破視其腹中、腸皆寸寸斷(『世説新語』黜免篇)
腸が、ずたずたに断ち切れていた。走っているあいだに、体の内側で少しずつ切れていったのでしょう。悲しみではらわたがちぎれる、という言い方は、それ以前からありました。それが目の前に、そのままの形で置かれたわけです。
第4話 · この話が置かれた場所
報告を受けた桓温は、怒りました。そして子猿を捕らえたその兵を、黜(しりぞ)けた。職を解いた、ということです。
この挿話を収める『世説新語』の篇名は、「黜免(ちゅつめん)」。官職を取り上げられた人々の話を集めた章です。つまり編者にとってこれは、猿の悲しみを伝える話であると同時に、一人の兵が職を失った話だったわけです。
ちなみに「断腸」という語そのものは、この一件より前からあります。後漢末の曹操は戦乱の惨状を「之を念(おも)えば人の腸を断つ」(『蒿里行』)と詠み、その子の曹丕は「君を念いて 思い断腸す」(『燕歌行』)と、二字そのままで使いました。三峡の母猿より、百年あまり前のことです。日本でも、奈良時代の『万葉集』巻五の漢文の序に、もう「断腸の泣(なみだ)」が見えます。日本語の「断腸の思い」がこの故事から直接生まれた、と言い切れる証拠はありません。
それでも、辞書はこの話を引きます。この一件が残したのは新しい言葉ではなく、ありふれた比喩が本当だったらどう見えるか、というひとつの光景のほうでした。
兵の名も、子猿がそのあとどうなったかも、書かれていません。残っているのは、腹の中で見つかったものと、罷免という処分だけです。