「覆水盆に返らず」という言葉、いま使うのは「一度してしまったことは、もう取り返しがつかない」という場面です。別れた相手、こぼれた失言、過ぎてしまった時間——元には戻らない、とため息まじりに口にする一語です。
でも語源をたどると、これは古代中国で、出世した一人の男と、一度去っていった妻と、地面にこぼされた一杯の水の話なんです。
第1話 · 釣り糸ばかり垂れていた男
主人公は呂尚(りょしょう)。のちに太公望(たいこうぼう)と呼ばれ、周の文王・武王に仕えて殷を討つ大功を立てたと伝えられる、伝説的な軍師です。
ただし、その名が天下に轟く前の呂尚は、うだつの上がらない男でした。来る日も来る日も書を読み、釣り糸を垂れるばかりで、暮らしの面倒はまるで見ない。妻の馬氏(ばし)は、その甲斐性のなさにとうとう愛想を尽かし、夫のもとを去っていった——と伝えられます。
第2話 · 戻ってきた妻
ところが、人生はわからない。
やがて呂尚は文王に見いだされ、武王を助けて殷を滅ぼす立役者となり、斉(せい)の地に封ぜられて、一国の祖となるほどの身になります。
その噂を聞きつけて、かつて去った妻が現れます。そして、こう願い出た。「どうか、もう一度そばに置いてほしい」と。落ちぶれていた頃に見限った相手が、いまや雲の上の人。虫がいい、と言ってしまえばそれまでですが、すがりたくなる気持ちも、わからなくはありません。
第3話 · 地にこぼされた水
呂尚は、黙って一壺(ひとつぼ)の水を手に取りました。そして、それを地面にこぼした。
それから妻に、こう言ったと伝わります。「この水を、もとどおり器に戻してごらん。戻せたなら、望みのとおりにしよう」と。
若し離れて更(さら)に合はんと言ふとも、覆水(ふくすい)定めて収め難し——若言離更合、覆水定難収(南宋・王楙『野客叢書』が引く逸文)
むろん、地に染みた水は、二度と器には戻りません。一度離れた仲は、元には戻らない。呂尚は、そう告げたわけです。妻を責める言葉ではなく、ただ水のゆくえを見せる——そのぶん、かえって静かにこたえる別れでした。
第4話 · 「盆」は、お盆ではない
この故事、中国では「覆水難収(ふくすいなんしゅう)」——覆(くつがえ)した水は収めがたい、と言います。「覆水盆に返らず」という七五調の言い回しのほうは、日本で整えられたかたち。江戸後期のことわざ集『譬喩尽(たとえづくし)』にも見え、遅くともその頃には定着していました。
ひとつ豆知識を。ここでの「盆」は、料理をのせるお盆ではありません。漢語の「盆」は、平たい鉢や洗面器のような、水を張る器のこと。原典でこぼされたのも「壺」の水でした。「盆に水を張ってこぼす」というより、「鉢の水をぶちまける」情景に近い。
ちなみに、前漢の朱買臣(しゅばいしん)にも、貧しさに去った妻と再会する似た話があります。ただし正史『漢書』の本文に「水をこぼす」場面はなく、その演出は後世の戯曲で付け足されたもの。覆水のあの一幕は、やはり太公望のものとして語り継がれてきました。
こぼした水は戻らない。頭ではわかっていても、こぼれた先を、つい目で追ってしまう——その未練ごと、この古い言葉は抱えているのかもしれません。