「蛍雪の功(けいせつのこう)」という言葉、いま使うのは「苦労して勉学に励み、りっぱな成果を上げること」。「蛍雪の功なって卒業の日を迎える」——努力の末の学業成就を讃える、少し格式ばった一語です。
でも語源をたどると、これは灯火の油も買えないほど貧しかった、二人の学生の話なんです。一人は蛍を、もう一人は雪を、明かりに選んだ。
第1話 · 蛍を、袋に集めた男
ひとりめは車胤(しゃいん)。東晋の人です。学問熱心なのに家が貧しく、灯火の油をいつも買えるわけではなかった。
そこで夏の夜、彼は薄い絹の袋に蛍を数十匹集め、その淡い光で書物を照らして読みました。
家 貧しくして常には油を得ず、夏月には則ち練嚢(れんのう)に数十の蛍火を盛り、以て書を照らし、夜を以て日に継ぐ——家貧不常得油、夏月則練囊盛數十螢火以照書、以夜繼日焉(『晋書』車胤伝)
車胤は、伝説の人ではありません。『晋書』にちゃんと伝のある実在の高官で、将軍・桓温(かんおん)に仕え、のちに吏部尚書などの要職にまで昇ったと記されています。
第2話 · 雪明かりで読んだ男
ふたりめは孫康(そんこう)。こちらは南朝宋の人とされます。同じく貧しく油が買えず、冬は窓辺に積もった雪の照り返しを灯りがわりにして、書を読んだと伝えられる。
ただ、孫康の話は車胤とちがって『晋書』に伝がありません。いまは散逸してしまった『孫氏世録』という書物を、後世の『蒙求』が引くかたちでしか残っていない。同じ苦学の主人公でも、孫康のほうは少し伝説の霧の向こうにいる人です。
第3話 · 二人を並べた一冊
生きた時代も身分もちがうこの二人を、ひとつの句に並べたのは、唐の李瀚(りかん)が編んだとされる『蒙求(もうぎゅう)』でした。
孫康 雪に映じ、車胤 蛍を聚(あつ)む——孫康映雪、車胤聚螢(『蒙求』)
四字一句のリズムで故事を覚える、子ども向けの教科書です。この対句から「蛍雪」「蛍窓雪案(けいそうせつあん)」、そして「蛍雪の功」という言葉が育っていきました。
第4話 · 「蛍の光、窓の雪」
日本でも、『蒙求』は平安時代から初学者の定番でした。「勧学院の雀は蒙求をさえずる」と言われたほど、暗誦されたといいます。
そして——卒業式でおなじみの唱歌「蛍の光」。あの「蛍の光、窓の雪」という歌い出しは、まさにこの蛍雪の功、車胤の蛍と孫康の雪を踏まえたものです。原曲はスコットランドの民謡で、日本語の詞がついたのは明治十四年(1881年)。千年以上前の中国の苦学が、日本の卒業ソングの一行目に、そっと畳み込まれている。
蛍を数十匹集めて本当に字が読めたのか、雪明かりなんて晴れた夜しか使えないのでは——そんな野暮も、つい浮かびます。それでもこの話が生き延びてきたのは、たぶん「それでも読もうとした」という一点が、時代を超えて効くからなのでしょう。