「元気(げんき)」という言葉、いま使うのはたいてい体か気分の話。「元気ー?」と声をかけ、「元気ないね」と心配し、ライブの帰りに「元気もらった」と言う。日本語でいちばん気軽な二文字の一つでしょう。

でも、この二字がもともと指していたのは、人の体でも気分でもありません。天地がまだ分かれていない、宇宙そのもののことでした。

第1話 · 天地が、分かれる前

「元」は、はじめ。「気」は、万物をかたちづくるもと。二つ合わせた「元気」は、漢の時代の中国で、この世界の根源にある気を指しました。

後漢の王充(おうじゅう)が書いた『論衡』談天篇に、当時よく語られた説が引かれています。

元気未だ分かれず、渾沌(こんとん)として一たり(『論衡』談天篇が引く、易を説く者の言)

まだ何も分かれていない、ひとかたまりの気。同じ箇所に引かれた儒書によれば、それが澄んだものと濁ったものに離れ、澄んだほうが天に、濁ったほうが地になった。

『漢書』の律暦志にも「太極元気、三を函(い)れて一と為す」とあります。太極とは天地が分かれる前のこと。元気はそこで、混じり合ってひとつでした。

人の体調どころか、まだ世界に体そのものがありません。

第2話 · 王が正しければ

その大きな気が、なぜか政治とつながります。

前漢の儒者・董仲舒(とうちゅうじょ)の名で伝わる『春秋繁露』——後世の編纂とみる説もある書ですが——その王道篇に、こんな一節があります。

王正しければ則ち元気和順し、風雨時あり、景星(けいせい)見(あらわ)れ、黄龍下る(『春秋繁露』王道篇)

王が正しくふるまえば、根源の気は穏やかに巡り、雨風は季節どおりに来て、めでたい星が現れ、黄色い龍が降りてくる。逆に王が正しくなければ、天そのものが変わり、賊気——荒れた気が、いっせいに顔を出す。

天子ひとりの姿勢が、世界のいちばん底にある気を乱したり整えたりする。漢代の人にとって、政治と宇宙は地続きでした。

同じ「気」でも、戦国の孟子が説いた浩然の気は自分の内で養うものです。元気のほうは、はじめから天地の側にある。人が養うのではなく、人が乱してしまうものだったわけです。

第3話 · 病が、治ること

この壮大な二文字が、日本に渡ります。

平安のはじめ、空海の詩文集『性霊集』巻二(835 年頃)には「元気倏(たちま)ち動き、葦牙(あしかび)乍(たちま)ち驚く」の句。根源の気がふっと動き、葦の芽が立ち上がる。まだ漢籍そのままのスケールです。

ところが日本には、もう一つの「げんき」がありました。減気——病の勢いが減ること。『今昔物語集』に「師の病、頗(すこぶ)る減気有て」。祈祷や薬の験(しるし)が出る意味で「験気」とも書きました。音が同じで、向いている方向も近い。

やがて十六世紀後半、『地蔵菩薩霊験記』に「病に犯(おか)れて月を超て元気す」——元気する、で「治る」。慶長八年(1603 年)の『日葡辞書』にも Guenqina が並び、沢庵の手紙(1637 年)は「根本元気の虚にて候由」。医者の見立ての言葉です。この重なりは、『日本国語大辞典』も語誌欄で一説に挙げます。

第4話 · 元気、もらいます

こうして「元気」は降りてきました。天地の根源から体の調子へ、体の調子から気分へ。そして、廊下ですれ違うときの「元気ー?」へ。

扱い方も変わりました。もとの元気は天地の側にあって、誰に頼まれるでもなく、そこにあるもの。いまは「元気を出す」と自分に言い聞かせ、「元気をもらう」と誰かに感謝する。わいてくるはずのものを、出したり、もらったりしている。

それでも、字は変わっていません。——いちばん、もと。「元気がない」と言うとき、私たちはうっかり、自分のいちばん底にある気の話をしている。漢の人が天地の底を覗いて名づけたのと、同じ場所です。

たった三音(げ・ん・き)の挨拶が、思ったより深いところまで手を伸ばしている。届く先は、漢の人が天地の底に見た、あのひとかたまりの気です。