「銀行」という言葉、いま使わない日はないくらいの、生活のど真ん中にある二文字です。お金を預ける、あの場所。
明治の日本人が bank に当てた、いかにも和製漢語らしい訳語——そう思われがちですが、実は違います。この言葉、日本で生まれたのではなく、海の向こうから来たんです。
第1話 · 「行」って、なんだ
まず「銀行」の「行」から。
これ、日本語の感覚だと「行く」「行う」に見えますが、中国語では読みも意味も別。「ハン(háng)」と読んで、同業の店が集まった一画、あるいは同業の組合を指します。唐の時代の長安には、絹を商う「絹行」、鉄物を扱う「鉄行」が軒を連ねていた。いまも中国語に残る「洋行」「商行」の「行」が、それです。
だから「銀行」は、字づらだけ追えば「銀を扱う店が集まる一画」。お金を扱う商売の、区画の名前だったわけです。
第2話 · 字典に、もう載っていた
では、bank の訳語として「銀行」が現れたのは、いつか。
手がかりは、幕末に西洋人が中国で編んだ英華字典——英語と中国語の対訳辞書です。並べてみると、はっきりした流れが見えます。モリソンの字典(1822 年)には、bank にお金の意味がまだ載っていない。メドハースト(1847-48 年)は「銀號(ぎんごう)」「錢舖(せんぽ)」と訳す。そしてロプシャイトの字典(1866-69 年)に至って、bank の訳の筆頭に、はっきり「銀行」が並びます。
香港では、この語がもう使われていました。太平天国の指導者のひとり洪仁玕(こうじんかん)は、香港で宣教師のもとに身を寄せていた人。彼が 1859 年に著した書物には、すでに「一に、銀行を興す」の一文があります。明治維新より、九年も前のことでした。
第3話 · 横浜の、若い訳官
その言葉が、海を渡ります。
慶応 2 年(1866 年)、横浜。外国銀行の支店長が、幕府の勘定奉行に宛てた英文の書簡を、ひとりの訳官が日本語に訳しました。塩田三郎(しおたさぶろう)、まだ二十歳そこそこの若さです。このときの訳文に使われた「銀行」が、日本での現存最古の使用とされています。国語辞典が長く初出に挙げてきたのは、明治 4 年(1871 年)の『会社弁』。塩田のこの例は、それを五年さかのぼります。
彼は、どこでこの語を知ったのか。研究者の立脇和夫は、国会図書館に残るロプシャイトの英華字典の一冊に、「故塩田三郎寄贈本」の印が捺されているのを見つけました。塩田は、あの字典を持っていた。bank の訳に「銀行」が筆頭で載った、あの一冊を。
つまり、日本人が一から知恵をしぼった訳語ではなかった。海の向こうで先にできていた言葉を、あの字典から写し取った——そう見るのが、いちばん無理がありません。
第4話 · 「日本製」の物語
ところが、有名なのは、まったく別の話のほうです。
明治のはじめ、大蔵省で bank の訳語を決めるとき、渋沢栄一が「金行か、銀行か」と悩み、語呂の良さで「銀行」に決めた——そういう逸話が、広く知られています。
たしかに、近い証言はあります。渋沢は後年、両替屋も下品だと頭を抱えた末に、こう振り返っています。
金行というのも妙でないから、銀行にしよう
ただ、これはあくまで「妙でない」=しっくりこない、という話。「語呂が良い」とは、本人はひと言も言っていません。
しかも、この回想が載る本は、同じ紙面で「銀行という名は、先生が初めて訳した」とも書いています。渋沢を顕彰する団体が出した本です。けれど、塩田がその五年も前に使っている以上、これは事実に合わない。
面白いのは、その誤りを、もう明治のうちに見抜いた人がいたこと。石井研堂(いしいけんどう)は 1908 年、この通説を「容易に信じがたし」と切り捨てました。同じ時期、渋沢自身が別の翻訳書では bank を「為替会社」と訳している——それを名づけ親と呼べるのか、と。
海を渡ってきた二文字と、あとから作られた「日本製」の物語。私たちがいま毎日通う「銀行」の看板には、その両方が、静かに畳み込まれています。