「自由(じゆう)」という言葉、いま使うのは「縛られず、思いのままにふるまえること」。基本的人権の柱であり、誰もが大切にする、明るくて前向きな一語です。

でも語源をたどると、もともと「自由」は、どちらかといえば「わがまま」「勝手気まま」という、少し眉をひそめられる言葉だったんです。それが近代の理想を背負う言葉に変わったのは、明治の翻訳家たちの、苦心の末でした。

第1話 · 「自らに由る」

「自由」は、ずいぶん古い漢語です。字のとおり、「自(みずか)らに由(よ)る」——他に頼らず、自分のありように従う、思いのまま、という意味。

中国の古典では、これが両刀でした。「外から縛られない」という中立の意味もあれば、「思うままにふるまう=専横・わがまま」という、ややとげのある意味もある。一方、仏教や禅では、とらわれを離れた良い境地「自在」として使われもしました。

第2話 · 「自由狼藉」の時代

日本に入ってからの「自由」は、長いあいだ、分の悪い言葉でした。

中世には「自由狼藉(じゆうろうぜき)」「自由出家」——勝手な振る舞い、無法、という否定的な使われ方が目立ちます。『徒然草』にも、こんな一節があります。

よろづ自由にして、大かた人に従ふといふ事なし——『徒然草』六〇段

何ごとも自分勝手で、人に従うということがない——。ほめ言葉では、まったくありません。かつての「自由」は、わがままと紙一重の言葉だったのです。

第3話 · 福沢の、ためらい

時代は幕末から明治へ。西洋から、liberty、freedom という言葉が流れ込んできます。他者からも国家からも侵されない、個人の権利。思想や言論の自由。——これを、どう日本語にするか。

福沢諭吉は『西洋事情』で、これに「自由」「自主任意」を当てました。でも、ためらいもあった。在来の「自由=わがまま」の語感に引きずられて、誤解されることを恐れたのです。だから福沢は、わざわざ注を付けます。

(自由とは)決して我儘放蕩(わがままほうとう)の趣意に非ず——福沢諭吉『西洋事情』

これはわがまま放題のことではない、と念を押さねばならなかった。それほど、古い語感は手強かったのです。

第4話 · 『自由之理』が決めた

「自由」を世に定着させた決定打は、じつは福沢ではありませんでした。

明治五年(1872年)、中村正直(なかむらまさなお)が、イギリスの哲学者 J.S.ミルの『自由論(On Liberty)』を訳し、『自由之理(じゆうのことわり)』として世に出します。これが当時の青年知識人に広く読まれ、「自由」という言葉に、近代的な価値——個人の尊重、思想の自由——を、しっかりと根づかせた。

やがて「自由」は、自由民権運動のスローガンとなり、近代日本語として完全に定着していきます。

わがままと紙一重だった古い言葉が、いまや、人が人であるための最も大切な理想の一つを背負っている。「自由」と口にするとき、その二文字が、けっして「勝手気まま」ではない重みまで歩いてきたことを、ときどき思い出してもいいのかもしれません。