「疑心暗鬼になる」。疑いはじめると、何を見ても怪しく思えてくる状態のことです。
疑心はわかります。では暗鬼とは何でしょう。暗がりの、鬼。そんなものが、なぜここに出てくるのか。
出どころは『列子(れっし)』の、斧をなくした男の話——とよく言われます。ところがその『列子』を開いても、「疑心暗鬼」という四字はどこにも出てきません。
第1話 · 斧を、なくした
『列子』説符篇(せっぷへん)に、こんな短い話があります。
人に鈇(ふ)を亡(うしな)う者有り。その隣の子を意(うたが)う。その行歩(こうほ)を視るに、鈇を窃(ぬす)めるなり。顔色も、鈇を窃めるなり。言語も、鈇を窃めるなり。動作態度、為すとして鈇を窃めざるは無きなり(『列子』説符篇)
鈇は斧のこと。斧をなくした男が、隣の家の子を疑います。歩き方を見れば、盗んだ者の歩き方。顔つきもそう。口のきき方もそう。しぐさも身のこなしも、何ひとつ盗んでいない者のそれではない。
ところが、です。
男が自分の谷を掘っていると、斧が出てきました。そこに置いたまま、忘れていたのです。
後日、また隣の子を見かけます。しぐさも身のこなしも、どこにも盗人らしいところがない。
第2話 · 変わったのは、どちらか
『列子』は、ここで話を終えます。解説はありません。
ただし同じ話が、もう一冊に載っています。『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』——秦の呂不韋(りょふい)が編ませた、紀元前 239 年成立の書。こちらには、最後に結びがついています。
その隣の子は変ずるに非ざるなり、己(おのれ)則ち変ぜしなり。変ずる者は他無し、尤(ゆう)とする所有ればなり(『呂氏春秋』去尤篇)
隣の子は変わっていない。変わったのは自分のほうだ。なぜかといえば、尤(ゆう)——目のくもり、かたよりがあったから。
篇の題は「去尤(きょゆう)」、かたよりを去れ。話のねらいを、題のほうが先に言っています。
第3話 · 言葉は、どこから来たのか
さて、「疑心暗鬼」です。
『列子』の本文にありません。晋の張湛(ちょうたん)がつけた注にもありません。唐の盧重玄(ろちょうげん)の解にも、北宋の徽宗(きそう)の義解にも出てきません。
この章の注にその言い回しが現れるのは、南宋の林希逸(りんきいつ)が書いた『列子鬳斎口義(れっしけんさいこうぎ)』が最初です。13 世紀。原話から千年以上あとになります。
しかも、こう書いてあります。此の章は猶ほ諺に言う「疑心、暗鬼を生ず」のごとし。諺に言う——つまり林希逸も、すでにあった言い回しを引いているだけです。
もっと古い例もあります。ただし、こちらは『列子』の注ではありません。南宋の洪邁(こうまい)が集めた怪異譚集『夷堅志(いけんし)』の、1166 年に序が書かれた巻。ここにも出てきますが、やはり「諺に謂う」と前置きされています。
南宋の二人が、そろって「昔から言うでしょう」と引いている。言い出した人は、わかりません。
ちなみに中国語では、いまも「疑心生暗鬼」と五字で言うのが普通です。「生」を落とした四字だけの形は、日本語のほうで固まったもの。疑心が暗鬼を生む、という文だったはずが、四字ひとかたまりの状態の名前になりました。「疑心暗鬼になる」と言えてしまうのは、そのためです。
第4話 · 夜半、うめき声
その『夷堅志』のほうに、言葉の実例が載っています。
その前にひとつ。中国語の「鬼」は、角の生えたあの鬼ではありません。死んだ人の霊のこと。暗鬼は、暗がりに立つ亡霊です。
老婆が亡くなった家に、僧が頼まれて泊まりました。目を閉じて経を唱えていると、夜半、老婆の部屋からうめき声。見れば四尺ばかりのものが、頭から甕(かめ)をかぶって、まっすぐこちらへ向かってくる。
僧が打ちかかると甕が割れ、中から犬が出てきました。戸を閉めたとき部屋にいた犬が、甕の底の糠(ぬか)を舐めようと首を突っ込み、抜けなくなって唸っていたのです。
洪邁は結びます。諺に謂う「疑心、暗鬼を生ず」とは、こういうことだろう、と。
暗鬼の正体は、たいてい身も蓋もありません。
張湛は、斧の話にこう注をつけています。「万事の紛錯(ふんさく)は、皆な意(い)より生ず」。もつれて見えるものは、みんな心のほうから生まれている——諺がそこへ追いつくより、ずっと前のことです。