「呉越同舟」という言葉、いま使うのはだいたい「仲の悪い者同士が、同じ場所に居合わせること」。いがみ合う二社が一つの案件で組んだり、政敵同士が同じ壇に並んだり——「まさに呉越同舟だね」と、少し笑いを含んで使われます。
でも語源をたどると、これは春秋時代の兵法書『孫子』の一節。しかも元の話は「居合わせる」では終わらない。憎み合う者同士が、嵐の舟の上で、左右の手のように助け合う——そこまで含めての言葉だったんです。
第1話 · 呉と越、憎しみの二国
舞台は紀元前 500 年前後の中国、長江の下流。
東の呉と、その南の越。隣り合うこの二つの国は、王の代をまたいで戦を重ねた宿敵同士でした。呉王・闔閭(こうりょ)は越との戦いで足の親指を切り裂かれ、その傷がもとで死ぬ。子の夫差(ふさ)は薪の上に寝て復讐を誓い、越王・勾践(こうせん)は会稽山で屈辱の降伏をして、苦い胆を舐めてその恥を忘れまいとする——のちに「臥薪嘗胆」と呼ばれる、長い復讐譚の二国です。
つまり当時の中国で「呉と越」と言えば、憎み合う間柄の代名詞。いまで言う「犬猿の仲」を、国ごと体現したような組み合わせでした。
第2話 · 孫武、呉に仕える
その呉に、一人の兵法家がいました。孫武(そんぶ)。『史記』孫子呉起列傳によれば、斉の生まれ。自らの兵法を十三篇の書にまとめ、それを読んだ闔閭に登用されて、呉軍を鍛え、楚を破る戦いで働いた将です。
その十三篇が、後の世に『孫子』と呼ばれる、現存する世界最古級の兵法書。
「兵とは国の大事なり」から始まるこの書は、精神論をほとんど語りません。勝てる形を作ってから戦え。戦わずして勝つのが最善。人の心すら、状況が生み出すものとして冷静に観察する——二千五百年後のいまもビジネス書の棚に並ぶのは、この現実主義のおかげでしょう。
その『孫子』の九地篇に、あの一節があります。
第3話 · 常山の蛇と、同じ舟の嵐
このくだりのテーマは、軍を一つの生き物のように動かすこと。『孫子』はその理想を、一匹の蛇にたとえました。
善く兵を用うる者は、譬(たと)えば率然(そつぜん)の如し。率然とは常山(じょうざん)の蛇なり。其の首を撃てば則ち尾至り、其の尾を撃てば則ち首至り、其の中を撃てば則ち首尾倶(とも)に至る
率然という蛇は、頭を打てば尾が反撃し、尾を打てば頭が反撃し、胴を打てば頭と尾が同時に襲いかかってくる。軍も、こうでなければならない——。
では、兵をそんな蛇のように動かすことなど、本当にできるのか。『孫子』は「できる」と即答して、根拠としてこう続けます。
夫(そ)れ呉人と越人と相悪(にく)むも、其の舟を同じくして済(わた)り、風に遇うに当たりては、其の相救うこと左右の手の如し
あの憎み合う呉人と越人でさえ、同じ舟で川を渡っていて嵐に遭えば、左右の手のように助け合う。憎しみを忘れたからではありません。舟が沈めば、二人とも沈むからです。
第4話 · 「呉越」が手を結ぶとき
人は、感情で動くより先に、状況で動く。だから将のなすべきことは、兵に「助け合え」と説教することではなく、助け合うしかない状況に軍を置くこと——『孫子』の結論は、あくまで兵法の話でした。
それから二千五百年。「呉越同舟」は日本語のなかで、少し意味の重心を変えます。本来は「憎み合う者同士が、共通の危機の前では協力すること」。けれど現代では嵐の部分が抜け落ちて、「仲の悪い者同士が居合わせること」の方が前に出てきました。
会議室で、プロジェクトで、「呉越同舟ですね」と苦笑いする場面。でも元の一節は、その先を見ています。
嵐が来れば、人は左右の手になれる。憎しみは、沈みかけた舟の上では、二の次になる——『孫子』は、人間のそういう底力まで、計算に入れていたのです。