「四面楚歌」という言葉、いま使うのはだいたい「周りが敵ばかりで、味方が一人もいない」という状況でしょうか。会議で自分の案に誰も賛成してくれない、世間からも責められる——そんな孤立無援の場面で顔を出します。
でも語源をたどると、これは紀元前 202 年、垓下(がいか)という地で、ひとりの覇王が夜に聞いた「歌」の話なんです。それも、敵の鬨(とき)の声ではなく——故郷の歌でした。
第1話 · 追いつめられた覇王
舞台は楚漢戦争の最終局面、紀元前 202 年。
かつて秦を打ち倒し、「西楚の覇王」と号した項羽(こうう)。その武勇は当代に並ぶ者なし、正面からぶつかって勝てる相手はいないとまで言われた男です。
ところがこのとき、項羽は垓下に追いつめられていました。長らく天下を争ってきた漢の劉邦(りゅうほう)が、各地の諸侯を味方に引き込み、ついに項羽の軍を幾重にも囲み込んだのです。
『史記』はこう記します——兵は少なく、食糧は尽きた。漢軍と諸侯の兵が、何重にも陣を囲んでいた、と。天下を二分した男が、いまやわずかな手勢とともに、囲みの中にいました。
第2話 · 四方から、楚の歌
そして、夜が来ます。
包囲の陣のどこからか、歌が聞こえてきました。ひとつではない。四方すべてから。しかもそれは、項羽の故郷——楚の歌だったのです。
項羽は、大いに驚いて言いました。
漢は皆すでに楚を得たるか。是(こ)れ何ぞ楚人(そひと)の多きや。
——漢はもう楚を手に入れたのか。どうして、こんなにも楚の人間が多いのだ。
四方を埋める漢軍の中から、これだけ楚の歌が上がる。ということは、故郷の楚の地はもう漢のものになり、味方だと思っていた楚の人々さえ、向こう側にいる——そう聞こえたわけです。
剣を交える前に、項羽の心は折れかけていました。これが、この夜の四面の楚歌でした。
第3話 · 虞と騅、そして歌
項羽は夜中に起き上がり、帳(とばり)の中で酒をあおります。
かたわらには、いくさの日々をいつも連れ添ってきた寵姫がいました。名は虞(ぐ)。そして、いつも乗りこなしてきた愛馬——騅(すい)。
胸に迫るものを抑えきれず、項羽はみずから詩を作り、声に出して歌います。
力は山を抜き 気は世を蓋(おお)う 時 利あらず 騅 逝(ゆ)かず 騅の逝かざる いかんすべき 虞や虞や 汝(なんじ)をいかにせん
力は山をも引き抜き、気概は世を覆うほどだった。なのに、時の運がない。騅さえ、もう進もうとしない。その騅が進まないのを、どうすればいい。虞よ、虞よ、お前をどうしたらいいのか——
歌は何度も繰り返され、虞もこれに和したと伝わります。項羽の頬を、幾筋もの涙が伝った。まわりの者もみな泣き、誰ひとり顔を上げることができなかったといいます。
第4話 · 烏江のほとり
夜が明ける前、項羽は馬にまたがり、八百余騎を率いて、南へ包囲を突き破ります。
追いすがる漢軍。逃げるうちに従う者は減り、道にも迷い、ついに残ったのはわずか二十八騎。それでも項羽は最後の力をふりしぼり、追っ手の只中で存分に暴れてみせた。
たどりついたのは、烏江(うこう)のほとり。船を用意して待っていた亭長が、「江東へ渡って、再起を」と勧めます。
けれど項羽は、静かに首を振りました。江東の子弟八千人とともに西へ渡ったのに、いまや一人も連れて帰れない。たとえ江東の父老が憐れんで王に立ててくれても、どの面目があって会えようか、と。
そうして追っ手の中に旧友の顔を見つけると、「お前に手柄をくれてやろう」と言い残し、みずから首をはねました。三十年あまりの、覇王の生涯でした。
四方から聞こえてきたのが、剣戟の響きではなく、聞き慣れた故郷の歌だったこと。「四面楚歌」がいまも人の胸に残るのは、たぶん、そのせいなんです。敵に囲まれることよりも、味方だと思っていた声まで向こう側から届くことのほうが、ずっと心細い——わけです。