「白い目で見る」「白眼視される」。冷ややかな視線を向ける、向けられる、という意味で使います。目の色が実際に変わるわけもないので、たとえの言い回しに聞こえます。
ところが、もとはたとえではありません。本当に白目をむいて客を迎えた人がいる。しかも相手は、弔問に来た人でした。
第1話 · 母が死んだ日
三世紀、魏の末。阮籍(げんせき)という詩人がいました。竹林に集まって酒を飲み、世間の作法を鼻で笑う七人——のちに竹林の七賢と呼ばれる人たちの、中心にいた男です。
その阮籍の母が亡くなります。『晋書』の伝によれば、知らせが来たとき彼は碁の最中でした。相手が中断しようと言うのを押しとどめ、勝負を最後まで打ち終えてしまう。それから酒を二斗飲み、大きな声で一声あげて、血を吐いた。
葬送の日も同じです。蒸した豚を食べ、酒を飲んでから、別れの挨拶に出た。喪に服す者は肉も酒も断つ——それが礼です。彼はその礼を、まるごと踏みにじった。そしてまた、血を吐いて倒れる。
礼を捨てた男が、誰より深く痛んでいる。この妙なねじれが、話の下敷きになります。
第2話 · 兄には、白目を
そこへ弔問の客が来ます。嵆喜(けいき)という人。役人としてまっとうな道を歩いた、礼儀の正しい男でした。作法どおりのお悔やみを述べたはずです。
阮籍は、白眼を作りました。
籍は又た能く青白眼を為(な)す。礼俗の士を見れば、白眼を以て之に対す——籍又能爲青白眼、見禮俗之士、以白眼對之(『晋書』阮籍伝)
嵆喜は不快なまま引き上げた、と伝は書きます。喪主が、弔問客に白目をむく。作法にうるさい時代でなくても、これは事件でしょう。
「白眼」は、瞳を上か横にそらし、相手に白目だけを見せること。まともに目を合わせない、という意思表示です。
「礼俗の士」——世間の礼儀に従って生きている人。阮籍が白目を向けたのは、無礼な相手ではありません。むしろ、正しい側です。
第3話 · 弟には、黒い瞳を
話には続きがあります。嵆喜には弟がいました。嵆康(けいこう)——阮籍と同じ竹林の七賢のひとりで、琴の名手です。
兄が白眼で追い返されたと聞いた嵆康は、酒を提げ、琴を抱えて阮籍のもとに現れます。喪の家に、酒と楽器。礼の物差しで測れば、兄よりよほど非常識です。
ところが阮籍は大いに喜び、青眼を見せた。青眼とは、黒い瞳をまっすぐ相手に向けること。歓迎の目です。
白眼と青眼。この二つを自在に作り分けられた、と『晋書』はわざわざ書いています。誰を通し、誰を通さないか。阮籍はそれを、口ではなく目つきで告げたわけです。
第4話 · 白いほうだけが、残った
当然、まわりは黙っていません。伝はこう続きます——これによって礼法の士は、彼を憎むこと仇のごとくであった。ただの無作法ではなく、礼という仕組みそのものへの拒絶と受け取られたのです。
危ない立場でした。魏から晋へ、王朝が力ずくで移ろうとしていた時期です。うっかり口を開けば命がない。それでも阮籍が生き延びたのは、実権を握る司馬昭(しばしょう)がつねに彼を庇ったからだと、伝は書き添えています。酔い続け、言葉を濁し、目つきだけで語る。そういう身のかわし方だった。
青眼で迎えられた嵆康のほうは、そのあと十年とたたずに処刑されます。阮籍を庇い続けた、同じ人物の政権の下で。阮籍が世を去るのも、ほぼ同じころでした。目つきで人を選り分けられた時間は、思ったより短い。
それから千七百年余り。この故事は日本語にも入りました。ただし残ったのは白いほうだけです。「白眼視」「白い目で見る」は誰でも使いますが、「青眼で迎える」と言う人はほとんどいない。辞書に項目はあります。あるだけです。
拒絶の目だけが言葉になって、歓迎の目は消えた。私たちが日々あの目つきを向け合っているせいだとしたら、少しおかしな話です。