「えこひいき」「ごひいきに」。気に入った人を引き立てることです。

漢字で書くと「贔屓」。貝を三つ重ねた字に、尸(しかばね)の下に貝。貝だらけの二字です。

ところが、この貝は、お金とも貝とも関係がないようです。後漢の字書『説文解字(せつもんかいじ)』に贔の字は無く、大の字と目を三つずつ組み合わせた字が「壮大なり」の意味で載っています。清の学者・陳啓源(ちんけいげん)は、贔はこの字が崩れた形ではないかと考え、白川静の『字通』も、贔をこの字の略された形と見て、はげしく怒って力が入るさまを表す字としています。屓のほうも、尸の下に贔を書く「屭」を略した字です(『康熙字典』)。目と大が、四つの貝に見える形に崩れた、ということになります。

そして意味のほうも、もとは人を引き立てる言葉ではありませんでした。

第1話 · 山を割る神

確かめられる最も古い例は、後漢の張衡(ちょうこう)が書いた「西京賦(せいけいのふ)」。都・長安の姿をうたった長い韻文で、のちに名文集『文選(もんぜん)』に収められました。

長安の東の華山について、こんな一句があります。

巨霊(きょれい)贔屓し、掌を高くし蹠(あし)を遠くし、以て河曲を流す(張衡「西京賦」)

三国時代の呉の学者・薛綜(せつそう)の注によれば、話はこうです。もとは一つの山で、黄河はそこに当たって曲がって流れていた。河の神・巨霊が、手で山の上を押し割り、足で下を蹴り離して、二つに分け、河を通した。手と足の跡は、いまも残っている。

そして注は、贔屓をこう説明します。力を作(な)す貌(かたち)なり。

たどれる最初の贔屓は、山を割る神が渾身の力を込める、そのさまだったわけです。

第2話 · 碑を背負う亀

三世紀、晋の左思(さし)の「呉都賦(ごとのふ)」では、贔屓するのは大海亀です。「巨鼇(きょごう)贔屓して、首に霊山を冠(かぶ)る」。神の住む山を頭に載せて、踏ん張っている。

十一世紀、宋の字書『集韻(しゅういん)』になると、贔屓は「鼇(ごう)」、つまり大きな亀のことだ、と書かれます。力むさまが、力む生きものの名になったわけです。

いま中国の寺や廟で、石碑の台座になっている亀を「贔屓」と呼ぶことがあります。この呼び名がはっきり見えるのは、十五世紀、明の陸容(りくよう)の随筆です。形は亀に似て、重いものを背負うのを好む。だから石碑を載せる、と。

ただ同じ明代でも、李東陽(りとうよう)は、碑の台座の獣は別の名で、贔屓は碑の両脇の龍だと書いています。

第3話 · 力を添える

日本では、平安初期の『日本霊異記』に、もう「観音の贔(ひき)なり」と出てきます。こちらは贔の一字で、古い読みは「ひき」。のちに「ひいき」に変わります。意味は、観音さまが力を出してくださった、ということ。

力を向ける先が、だんだん特定の誰かになっていったのでしょう。気に入った者に力を添える、いまの意味です。

『精選版 日本国語大辞典』がその意味の最初の例に挙げるのは、1367 年の手紙の文例集『新札往来(しんさつおうらい)』。

賄賂属托(ぞくたく)によって、贔屓の儀あるべからず候(『新札往来』)

賄賂や口利きで、ひいきをしてはならない。この辞書が挙げるかぎり、人に力を添えるひいきは、禁止の文の中で書き留められはじめていました。

ほぼ同じころの『太平記』の「汝等(なんじら)贔屓の忠戦」は、おまえたちが力を尽くして戦ったおかげだ、という、力を込めるほうの意味です。二つの意味が、並んで使われていたことになります。

同じ辞書が力を添える意味で次に挙げる、江戸前期の教訓書『智恵鑑(ちえかがみ)』(1660 年)も、『新札往来』と同じく戒めの文です。ひいきの心が起これば、いつのまにか法をまげることにもなる。

第4話 · 判官贔屓

江戸時代には、「依怙(えこ)贔屓」「判官(ほうがん)贔屓」「贔屓の引き倒し」といった言い回しも、記録に見えるようになります。判官は源義経のこと。不遇の者に肩入れしたくなる気持ちに、名前が付きました。歌舞伎や相撲の「ご贔屓」も、この流れの先にあります。

いまの中国語の辞書を引くと、贔屓は碑を背負う亀の名、そして力を込めるさまです。ひいきするという意味は、載っていません。

肩入れしすぎて、かえって相手を困らせる「贔屓の引き倒し」。この言い回しには、山を割った神の力みが、どこかに残っているようにも聞こえます。