「顰蹙(ひんしゅく)を買う」。まわりの人に眉をひそめられるような、見苦しい振る舞いをすることです。
この「顰」は、美女・西施(せいし)のしかめ顔をまねる「顰(ひそみ)に倣う」の顰。だから顰蹙も西施の話から、とよく説明されます。
ところが、西施の話に「顰蹙」の二字は出てきません。
第1話 · 水辺で止まる顔
まずは字から見てみましょう。
後漢の字書『説文解字』は、顰のもとになったとされる字「瀕(ひん)」の説明に、川のほとりを持ち出します。水ぎわまで来た人が、顔をしかめて進まず、立ち止まる。その顔が「頻蹙(ひんしゅく)」です。「顰」の字そのものも、水を渡るときのしかめ顔と説明されています。
「蹙」は、縮む、迫る。顰と組むと、眉を寄せ、額をぎゅっと縮めた顔になります。二字そろって、しかめっ面です。
流れを前に、渡ろうか、やめようか。字の成り立ちには別の説もありますが、『説文解字』の説明に従えば、顰蹙は、水辺で足が止まる人の顔、ということになります。
ただ、この字書ができたのは紀元 100 年ごろです。顰蹙という言葉は、それより四百年ほど前の本に、別の字でもう出てきます。
第2話 · ガチョウを見た顔
二字の熟語として最も古い例は、『孟子』にあります。
主人公は、戦国時代の斉の陳仲子(ちんちゅうし)。名家の出で、兄は莫大な俸禄を受けていました。ところが仲子は、兄の禄は不義の禄だといって口にせず、兄の家にも住まず、母のもとも離れて、自分でくつを編んで暮らしていた男です。
ある日、仲子が実家に帰ると、兄への贈り物として生きたガチョウが届いていました。
己(おのれ)頻顣(ひんしゅく)して曰く、悪(いずく)んぞ是の鶂鶂(げきげき)たる者を用いんや(『孟子』滕文公下)
こんなガアガア鳴くものを、何に使うのか。頻顣は、顰蹙の古い書き方です。後漢の注釈は、これを「不悦」、不快の顔と説明しています。
話には続きがあります。後日、母がそのガチョウをしめて、仲子に食べさせた。そこへ兄が外から帰ってきて、「それは、あのガアガアの肉だよ」。仲子は門の外へ出て、吐き出しました。孟子の評は辛口です。そこまで操を貫きたいなら、ミミズにでもなるしかない、と。
第3話 · 胸を病んだ美女
では、西施の話はどうか。こちらは『荘子』天運篇にあります。
越の美女・西施は胸を病み、村で眉をひそめていた。それを見た同じ村の醜い女が、美しいと思って、帰って胸を押さえ、眉をひそめてみせた。すると村の金持ちは門を固く閉ざして外に出ず、貧しい者は妻子を連れて逃げ出した。——女は、しかめ顔が美しいことは知っていても、なぜ美しいのかは知らなかった。
時代に合わない昔の礼を持ち出す孔子を、醜女にたとえた皮肉です。原文の字は「矉(ひそみ)」の一字だけ。村人は笑わずに逃げていますし、醜女に名前もありません。「東施(とうし)」という名は、後の時代につけられたものです。
唐代の注釈、成玄英(せいげんえい)の疏では、西施のしかめ顔が「嚬蹙」と言い換えられています。顰蹙の別の書き方です。二字の熟語と西施が、ここで出会いました。
第4話 · 顔を、買う
「顰蹙」の字面そのものは、後漢の王充(おうじゅう)『論衡』に見えます。薄くて酸っぱい酒を出されると、客も主人も顰蹙する。三世紀の魏には、こんな詩もあります。程暁(ていぎょう)の「嘲熱客(ちょうねっきゃく)」。真夏の暑さをついて、気の利かない客が人の家へ押しかけてくる。主人は客が来たと聞いて、顰蹙する。千七百年あまり前の、暑苦しい客の話です。
日本では、空海がこの言葉を「頻蹙」の形で使っています。嵐で流された遣唐使船の大使に代わって書いた手紙(『性霊集』)に、荒れ狂う風に顔をしかめた、と。
そして日本語は、ここに「買う」をつけました。恨みを買う、反感を買う。好ましくないものを自分から招く、という古くからの言い方です。明治の終わりには、もう使われていました。1906 年の法曹界の逸話集には、逸話の主が、磨き込んだ欅(けやき)の床にたばこの灰を散らかしては「毎度女将の顰蹙を買ひぬ」という一文があります。
ガチョウを見た仲子、暑苦しい客を迎える主人、床の灰を見た女将。顔をしかめているのは、たいてい見る側でした。「買う」がついて、その顔をさせた側の言葉になりました。