慌てることを「狼狽える(うろたえる)」と書きます。「周章狼狽(しゅうしょうろうばい)」という四字もあります。

狼はわかります。では狽(ばい)とは何でしょう。

第1話 · そういう獣がいる、という話

まず、字を見ておきます。狽はけものへんに貝。獣の名前を書くための形はしています。

その狽について、唐の『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)』——段成式(だんせいしき)が世の奇談を書き集めた書に、一文だけ説明があります。

或(ある)いは言う、狼狽は是れ両物、狽は前足絶えて短く、行くごとに常に狼の腿の上に駕(の)る。狽は狼を失えば則ち動く能わず。故に世に、事の乖(そむ)く者を狼狽と称す(『酉陽雑俎』巻十六)

狽は前足が極端に短い。だから歩くときはいつも狼の腿(もも)の上、腰のあたりに乗る。狼を失えば、動けない。だから世間では、物事がうまく運ばないことを狼狽という——。

注意したいのは、書き出しが「或いは言う」であることです。段成式は自分の見聞としてではなく、伝聞の形で書いている。

そして原典が言っているのは、ここまでです。よく語られる「狼は前足が長く後足が短い」「離れればどちらも倒れる」は、この書にはありません。前者は明の『本草綱目』が引く書、後者は清の『康熙字典』の系統で、『精選版 日本国語大辞典』の語源注は、それらを合わせた形を載せています。

第2話 · 進むことも、退くこともできない

古い用例を見ると、意味も様子が違います。

西晋の李密(りみつ)が書いた『陳情表』は、役人になれという命令を断るための上表文です。李密は滅ぼされた蜀の旧臣でした。断れば新しい王朝に背き、断らなければ育ててくれた祖母を置いていくことになる。祖母は九十を超え、世話をする者は自分しかいません。

その板挟みを、彼はこう書きました。

臣の進退、実に狼狽たり(李密『陳情表』)

ここでの狼狽は、慌てているというより進むも退くもできない状態です。『三国志』の馬超伝にも「進退狼狽」とあり、「進退」と「狼狽」はよく並べて使われました。狼を失えば動けない、という第1話の絵とはよく合います。

第3話 · 空海も使っている

日本で早い例は、意外なところにあります。空海(くうかい)の『三教指帰(さんごうしいき)』。797 年ごろ、二十代の空海が書いた著作です。

役人を育てる大学寮から官途へ——その将来を捨てる宣言のような書でもあります。

進退のこれ谷(きわ)まるを嘆き、起居の狼狽を纏(まと)う(空海『三教指帰』)

「進退窮まる」と対にして置かれており、こちらもその意味に読めます。

では慌てる意味はいつからか。実はこちらも古く、中国では『世説新語』にすでに見えます。片方が片方に置き換わったというより、二つの意味は早くから並んで走っていた。明治の『当世書生気質(とうせいしょせいかたぎ)』には「喫驚(びっくり)狼狽(ろうばい)して」という使い方が出てきます。

「うろたえる」に「狼狽える」の字を当てたのは、日本での工夫です。

第4話 · 獣のほうが、あとから来た

さて、第1話の説明には難があります。

「狼狽」は二字でひとまとまりの語をなす——二つの音が結びついて一語になった、いわば擬態語のような語だという見方があるのです。漢語にはこの型がいくつもあります。躊躇(ちゅうちょ)、逡巡(しゅんじゅん)、彷徨(ほうこう)。どれも二字を切り離して意味を問うても答えが出ません。

もう一つ、別の説があります。狽は「跋」の字が崩れたもので、出どころは『詩経』の「狼跋(ろうばつ)」だ、というものです。

その詩はこう始まります。老狼が前に進めば、自分の顎から垂れた肉を踏む。退けば、自分の尾に躓く。進めば顎を踏み、退けば尾に躓く——第2話の「進むも退くもできない」が、そのまま絵になっています。

どちらの説を採っても、順序は同じです。先に「ろうばい」という音の言葉があり、それに獣偏の字が当てられ、字面を説明するために獣が呼ばれてきた。狽という獣は、言葉のほうから生まれたことになる。

正解は決まっていません。獣の説を採る辞書もあれば、音のかたまりとして扱う立場もあります。

ただ、はっきりしていることが一つあります。狽という獣は、この言葉の外ではほとんど姿を見せない。動物図鑑にも、ほかの熟語にも出てこない。千七百年のあいだ、辞書の中でだけ、狼の隣に立ちつづけています。