「井の中の蛙」、あるいは「井の中の蛙大海を知らず」。狭い世界しか知らないのに得意がっている人を、少し呆れて眺めるときの一語。自分に向けて使うこともあります。
でも語源をたどると、この蛙、主役ですらありません。出どころは戦国時代の道家・荘子(そうし)の名を冠した書、その秋水(しゅうすい)篇。笑われているのは、蛙ではない誰かなんです。
第1話 · 秋の水が、黄河を満たした
秋水篇を収める外篇は、後学の手とみるのが通説。紀元前三世紀ごろとされます。
秋。雨季の水がいっせいに流れ込んで、黄河はふくれ上がった。両岸が離れすぎて、向こうに立っているのが牛か馬かも見分けがつかない。
黄河の神・河伯(かはく)はすっかり浮かれます。この世の美しいものは、みんな自分のところに集まっている、と。
そのまま東へ下り、たどり着いたのが北海。眺めても、水の端が見えない。河伯はここで顔つきを変え、海を仰いでため息をつきます。道を少し聞きかじって自分より上はいないと思う——あれは、おれのことだった。
第2話 · 井の蛙に、海は語れない
海の神・北海若(ほっかいじゃく)が答えます。
井蛙(せいあ)の以て海を語るべからざるは、虚に拘(かか)わればなり——井蛙不可以語於海者、拘於虛也(『荘子』秋水篇)
井戸の蛙に海を語れないのは、住みついた穴に縛られているから。知られているのは、ここまで。
けれど、言葉はここで止まりません。同じ形の文が二つ続く。夏の虫に氷を語れないのは、季節に閉じ込められているから。そして曲士(きょくし)——一方に偏った学者に道を語れないのは、教わったことに縛られているから。
三つ目が、本命です。蛙も夏の虫も、この一行への助走でした。
第3話 · 井戸をのぞきに来た、東海のすっぽん
蛙が主役になるのは、同じ秋水篇の後半。名家の論客・公孫龍(こうそんりゅう)が、公子牟(こうしぼう)に泣きつく場面です。「百家の知を論破してきたのに、荘子の言葉にだけは歯が立たない」。
公子牟は肘掛けにもたれ、天を仰いで笑ってから話しはじめます。
崩れかけた井戸の蛙が、東海の鼈(べつ)——すっぽんを誘った。「うちは最高だよ。井桁の上に跳び出し、割れた壁のくぼみで休む。泥を蹴れば足が甲まで沈む。ぼうふらも蟹もおたまじゃくしも、おれにはかなわない。ひとつ入って、見ていきなよ」。
すっぽんは足を入れようとして、左足が入りきらないうちに右膝がつかえました。
第4話 · 続きは、日本で足された
すっぽんは後ずさりし、代わりに東海を語ります。
夫(そ)れ千里の遠きも、以て其の大を挙ぐるに足らず——夫千里之遠、不足以舉其大(『荘子』秋水篇)
千仞(せんじん)の高さでも、深さは測りきれない。禹の世に十年で九度の洪水が来ても水は増えず、湯の世に八年で七度の旱(ひでり)が来ても岸は下がらない。蛙は、ぽかんとして我を失います。公子牟のとどめはこうです。おまえのやり方は管(くだ)で天をのぞくようなもの——公孫龍は口が閉じないまま、逃げ出しました。
日本では、この蛙にひとこと足されます。「されど空の深さを知る」。狭いからこそ見えるものがある、という反転。ただし秋水篇のどこにも、この一句はありません。陶芸家の河井寛次郎、作家の北条民雄(ほうじょうたみお)、そして永六輔——名は挙がりますが、どれも確かめられていません。
それでも、この後付けは的外れでもない。北海若は海を誇りませんでした。四海も天地の中では、大きな沼にあいた小さな穴。海もまた、大海を知らない。
どこから見ているかで、大きい小さいはあっさり入れ替わる。
荘子が笑ったのは、蛙でも夏の虫でもありませんでした。教わったことに縛られて、それより広い話が通じない人——三つ目です。「井の中の蛙」という言葉をどこかで教わって、そのまま誰かに当てはめるとき、私たちが立っているのは、たぶんそのあたりなんです。