「一週間」という言葉、いま使うのは当たり前。月曜から日曜まで、七日でひとつのまとまり、と。

でも語源をたどると、これは古代バビロニアで七つの星に神を当てた時代から、ヘレニズム期、唐の不空、平安の空海、明治の改暦——二千五百年かかって、ようやく日本人の生活に入ってきた言葉なんです。

第1話 · バビロニアの、七つの星と神々

舞台は、紀元前千年ごろの古代メソポタミア。

夜空を見上げていた人たちは、星々のうち、ふしぎな動きをするものが七つあると気づきます。月、火星、水星、木星、金星、土星、そして太陽

バビロニアの人たちは、その一つひとつに、神を当てた。月はシン、火星はネルガル、水星はナブー、木星はマルドゥーク、金星はイシュタル、土星はニヌルタ、太陽はシャマシュ。七つの星は、七つの神。

「七日」をひとまとまりとする生活のリズムも、おなじころに育っていきます。バビロニアの天文学と、ユダヤ教の安息日(シャバット)。二つの系統が、後の世でからみあいながら、ひとつの週に整っていった。

第2話 · 三つ飛ばしで、日月火水木金土

つぎの舞台は、ヘレニズム期のエジプト。

一日二十四時間を、七つの星に順番に支配させる、という発想が生まれます。星には、見かけの動きの遅い順——土星・木星・火星・太陽・金星・水星・月——という並びがある。二十四を七で割ると、余りが三。ある日の最初の一時間を支配する星から、三つ飛ばしで次の日の最初の星が決まる。

土星 → 太陽 → 月 → 火星 → 水星 → 木星 → 金星——この計算から、いまの日月火水木金土の順序が生まれた。

ローマで七星にローマ神が当てられ(土星のサートゥルヌスが Saturday、太陽のソールが Sunday)、紀元三二一年、コンスタンティヌス 1 世が「太陽の日」を公式の休日に定めます。

第3話 · 空海、『宿曜経』を持ち帰る

七曜が、東に流れます。

中国では、唐の僧・不空(ふくう)がインド占星術を漢訳して、紀元七五九年ごろに『文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経』——略して『宿曜経』——を世に出した。七曜・二十七宿・十二宮で吉凶を占う、密教の経典。

それを、空海(くうかい)が、大同元年(806 年)に、唐から日本へ持ち帰ります。

平安の貴族たちは、これを暦注として使いはじめた。藤原道長の『御堂関白記』(長徳四年、998 年)には、すでに七曜の記載がある。

ただ、それは占いの道具どまりで、生活の単位ではなかった。七日のリズムで暮らす感覚は、まだ千年ほど、目を覚まさずに眠っていた。

第4話 · 明治、ようやく目を覚ます

千年経って、明治。

明治五年(1872 年)の太政官布告で、日本はそれまでの太陰太陽暦を捨て、太陽暦(グレゴリオ暦)を採ります。明治五年十二月三日が、そのまま明治六年一月一日になった。

そして明治九年(1876 年)の太政官達で、官庁は「日曜全休、土曜半日休」へ。「半ドン」という言葉も、ここから生まれた。

千年、暦注のなかで眠っていた七曜が、ようやく日本人の生活の単位として目を覚ます。

一週間」という言葉そのものも、そのころ生まれた。日本国語大辞典は、明治十二年(1879 年)の歌舞伎『綴合於伝仮名書(つづりあわせおでんのかなめがき)』を、初出として記しています。

一週間のお客の口には、さういふお名前は知れぬから。

バビロニアの神々が、ヘレニズムを通り、空海の手を経て、明治の月曜にたどり着くまで——二千五百年。

今日は何曜日、と数えるとき、ふっと、その背中に長い旅の残響が聞こえてくる——のかもしれません。