「もしもし」という言葉、いま使うのはほぼ電話の最初の一言。会って話しているとき、目の前の人に「もしもし」と呼びかけることは、まずありません。
でも語源をたどると、これは明治の日本で、はじめて電話を握った人たちが、受話器の向こうの誰かを呼ぶために、手探りで選び取ったひとこと、だったんです。
第1話 · 電話が、日本に来る
舞台は明治23年(1890年)12月16日。この日、東京と横浜のあいだで、日本初の電話業務がはじまりました。
加入者は、東京がおよそ百五十軒、横浜が四十軒。線でつながった「声」を見えない相手と交わす——という体験は、ほんの少し前まで、誰も想像していなかったことです。
電話は、当時、受話器を取って本体のハンドルを回し、電話交換手を呼び出し、相手の番号を告げて繋いでもらう仕組み。掛けるたびに、見知らぬ交換手と、見知らぬ相手と、まず「声で」やりとりすることになりました。
このとき、人々は、ふと困ったのです。顔の見えない相手を、なんと呼べばいいのか。
第2話 · 「おいおい」と「申します申します」
開通からしばらく、呼びかけの言葉は定まっていませんでした。
記録には、男性が大きな声で「おいおい」と呼びかけたとあります。日常で人を呼ぶときと同じ調子で、電話にも臨んだ。
一方、丁寧に応対しようとする側は、より格式のある言い回しを選びました。
「申します、申します」
「申す」は、「言う」の謙譲語。「これから申し上げます、聞いてください」と前置きする、江戸期から続く、目下が目上への呼びかけ方です。電話という新しい道具に、人々はそれぞれの距離感で言葉を当てはめていったのです。
第3話 · 女性交換手と、「もしもし」の定着
開通当初から、東京の電話交換手には女性が多く混じっていました。それでも男性は少なくなく、乱暴な口調やぶっきらぼうな応対への苦情が、相次いだ。
明治三十年代までに、交換手はほぼ女性で占められるようになります。いまも残る「電話の声は明るく、はっきりと」という作法は、この頃の女性交換手たちが磨き上げたものでした。
彼女たちの口から繰り返された「申します、申します」は、現場で次第に縮まっていく——「もうし、もうし」、そして「もしもし」へ。
誰が広めたのかには諸説あります。技術者の加藤木重教が提唱したとも、大井太郎が「おいおい」を嫌って広めたとも、現場の交換手たちのあいだで自然と定着したとも。やがて利用者も真似て、日本中に広がっていきました。
第4話 · 妖怪は、一度しか呼ばない
「もしもし」には、もうひとつ、面白い言い伝えがあります。
妖怪や狐狸の類は、人を化かすとき「もし」と一度しか呼ばない——だから、相手が本当に人間かどうかを示すために、必ず二度続けて「もしもし」と呼ぶ。
俗説ではあります。とはいえ、夜道で「もし」とだけ声をかけられたら、ふっと足が止まる——という感覚が、たしかにどこかに残っているのも事実です。
「申します」を縮めた由来と、「妖怪は一度しか呼ばない」という伝承——どちらが先に「もしもし」を二度続けさせたのかは、はっきりしません。ただ、両方の流れが重なって、私たちは今日も、二度続けて口にしています。
百三十年あまり前、東京・横浜のあいだに張られた一本の線の向こうで、誰かが手探りで口にしたひとことが——いまも、深夜の電話の向こうで、知らない番号からの着信で、軽く、やわらかく、生きている——のかもしれません。