「いただきます」という言葉、いま使うのはほぼ食事の前。家でも、外でも、ひとりでも、誰かに対してというよりは、目の前の食卓に対して、ふっと口にしている一言です。

でも語源をたどると、これはずっと昔の日本で、両手で何かを掲げる、あの所作からはじまった言葉だったんです。

第1話 · 「いただく」は、頭上に掲げる所作

「いただく」のもとの意味は、ものを頭の上に押し戴くこと。両手で恭しく持ち上げ、頭の高さまで掲げる、あの所作です。

「頂く」「戴く」の字は、いずれも頭のてっぺんを意味します。

目上の人や神様から物を賜ったとき、両手で受け取って、一度、頭上に押し戴いてから——

古来、目上の人や神様から物を賜るときは、こうして恭しさを示したとされます。恭しく受け取る、その身振りそのものが「いただく」だったのです。

第2話 · 仏教の「頂戴」

この所作は、仏教との結びつきのなかで、いっそう深まります。

仏教には「頂戴(ちょうだい)」という作法があります。経典や仏具、仏前で受けた物を、両手で恭しく頭の上に掲げる——文字どおりの動作です。

漢語「頂戴」は仏教とともに日本へ入り、やがて意味の幅が広がって、「物を恭しく受け取る」という日常の謙譲表現にもなった。いまも残る「頂戴します」は、そのなごりです。

食事に「いただく」の謙譲表現が結びつくのも、こうした流れのなかで、室町〜江戸の文献に少しずつ現れはじめます。

第3話 · 食前の挨拶として広まる、いくつかの道筋

「いただきます」が、食事の前の決まったひとこととして広まる経緯は、実ははっきりしていません。よく語られるのは、こんな諸説です。

どれも一定の根拠はあるものの、「これが本流」と一本に定まる定説はない。合掌の有無や挨拶の仕方には、いまも地域差・家ごとの差があります。

第4話 · 学校で繰り返されて、全国へ

それでも、「いただきます」が全国の食卓で当たり前のひとことになる過程には、はっきりした流れがあります。明治から大正にかけての、学校での作法教育です。

大正六年(1917 年)に刊行された『小学校に於ける作法教授法要綱及細目』には、食前の挨拶として「いただきます」を唱える指導がすでに記されている。戦中の国民学校でも、食前唱和は型として定着していきました。

戦後の学校給食が全国に広がる中で、給食の最初に全員で「いただきます」、最後に「ごちそうさま」を唱える光景が、全国の学校で日常の所作になっていきます。

「いただきます」に命を頂くという感謝のニュアンスが強く結びつくのは、戦後、とくに食育という言葉が広まった近年のこと。米一粒、肉や魚の一切れ——その背後にある命や作り手の労に、思いを馳せる。

古来の押し戴く所作が、いまの食卓で、軽くやわらかく息づいている——のかもしれません。