会社と社会。同じ二字を、ひっくり返しただけです。

働きに行く先と、私たちが生きているこの世の中。意味はまるで違うのに、字は同じ。よくできた偶然だな、と思っていました。ところがこれ、偶然ではないんです。明治のはじめ、この二つの言葉はしばらく同じ場所にいました。

第1話 · 訳す言葉が、なかった

幕末。西洋から company という語が入ってきます。

困ったのは、指すものが日本になかったことです。大勢が金を出し合い、法の上でひとりの人格のように振る舞って、儲けを分ける。近いものといえば株仲間くらいですが、あれは同業者の寄り合いで、出資の仕組みが違う。

だから訳語も、ばらばらでした。「組合」「仲間」「社中」。とくに社中は、塾や結社にも使われた便利な言葉で、当時の日本人にはいちばんなじみ深かった。福沢諭吉は自分の塾の人々を社中と呼んでいます。

その福沢が、慶応 2 年(1866 年)の『西洋事情』で西洋の商いの仕組みを紹介したとき、そこに「会社」の二字が現れます。もっとも、この時点ではまだ、たくさんある訳し方のひとつでした。

第2話 · 政府が、作り方を配る

言葉が固まるきっかけは、明治 4 年(1871 年)にやってきます。

新政府は、この年に二冊の小さな本を出しました。『会社弁』と『立会略則』。前者は大蔵省から出たもので、訳述したのは福地源一郎——この時期はまだ大蔵省の官吏で、新聞記者になるのは三年後です。アメリカの経済書を下敷きに、何人かで金を出し合って商売をするとはどういうことかを、噛んで含めるように書いてある。後者の著者は渋沢栄一で、こちらは通商会社と為替会社の二本立て。株とは、為替手形とは、という説明が並びます。

国が、会社の作り方をパンフレットにして配った。それくらい、この仕組みは新しかった。

ちなみに、国語辞典が「銀行」の最も古い用例として長く挙げてきたのも、この『会社弁』です。会社と銀行。いま当たり前に使う二語が、そろってこの一冊に載っていたことになります。

第3話 · 中国は、別の字を選んだ

同じころ、中国では company を「公司」と訳していました。幕末に西洋人が編んだ英華字典を引くと、商いのほうの company に出てくるのがこの二字です。ロプシャイトの字典は注で、公司はもともと東インド会社にだけ使った語だと書いている。東インド会社は、中国語では東印度公司。

面白いのは、日本の選択です。「銀行」のほうは、その英華字典に載っていた中国渡りの語をほとんどそのまま受け取った。ところが company では、公司を採らなかった。

理由は、たぶん字面です。「公司」は役所のにおいがする。それより、人が寄り集まるという意味を素直に並べた「会社」のほうが、当時の日本人には見えやすかったのでしょう。輸入するものと、しないもの。訳語の取捨は、思ったより気分で決まります。

第4話 · 社会と、分かれる

そしてもう一方の society です。

こちらも訳語が定まらず、「交際」「世態」「仲間」——そして「会社」までが候補に挙がっていました。人が集まったもの、という一点で、company と society は日本語の上で重なっていたのです。

分かれ道は明治 8 年(1875 年)。『会社弁』を訳述した、その福地源一郎が、今度は新聞の紙面で「社会」に「ソサイチー」とルビをふります。以後、社会は society、会社は company と役割が分かれます。明治 23 年(1890 年)に公布された商法は、施行の延期が重なって動きだすまでに三年かかりました。そこでようやく、会社の種類が法の言葉で決まります。

言葉が固まると、由来は見えなくなります。「社」はもともと、土地の神をまつる場所のこと。字面だけ読めば、会社とは神の前の寄り合いです。

今日も私たちは、その二字に出かけていきます。ひっくり返すと、世の中そのものになる二字に。