「完膚なきまでに叩きのめされた」「完膚なきまでに論破する」。相手に言い返す余地を一つも残さない、徹底的な負かし方のことです。

完膚は、傷のない、完全な肌。完膚がないとは、体のどこにも無傷のところが残っていない、ということです。もとは体の言葉でした。

ただ、古い本をたどると、肌を埋め尽くしていたのは傷だけではありません。

第1話 · 打つところが、もうない

紀元前 198 年、漢の初め。趙(ちょう)の宰相・貫高(かんこう)たちが、皇帝の劉邦をひそかに殺そうとしていたことが発覚します。貫高は捕らえられ、主君の趙王も一緒に都へ送られました。

貫高は、計画したのは自分たちだけで王は何も知らない、と言い張りました。『史記』はこう書きます。

吏治榜笞數千,刺剟,身無可擊者,終不復言(『史記』張耳陳餘列伝)

鞭で数千回打たれ、刺され、体に打てるところがなくなっても、それ以上は何も言わなかった。

三国時代の終わりの 264 年には、魏の将軍・鄧艾(とうがい)とともに殺された部下の師纂(しさん)を、『三国志』の注に引かれた『世語(せいご)』が「体に完き皮無し」と書いています。

体に無傷のところが残らない。この言い方は、古くは拷問と惨殺の記録にありました。ただし書き方は「身に撃つべき者無し」「体に完き皮無し」で、まだ「完膚」の字はありません。

第2話 · 詩を着た男

九世紀の唐。段成式(だんせいしき)という文人が、見聞きした珍しい話を『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)』という本にまとめました。その巻八に、いれずみの話ばかりを集めた章があります。

そこに、荊州(けいしゅう)の街の男・葛清(かっせい)が出てきます。首から下に、びっしりと白居易の詩を彫っていた男です。

段成式は、荊州の客の陳至(ちんし)と一緒に葛清を呼び、本人に絵解きをさせました。葛清は背中の詩まで覚えていて、後ろ手でその場所を指してみせる。菊をうたった「不是此花偏愛菊」の句のところには、杯を手に菊の茂みの前に立つ人の絵。黄色い絞り染めのような林をうたった「黄夾纈林寒有葉」の句のところには、絞り染めの布を掛けた一本の木。どちらも、句の中身を絵にしたものです。

彫ったところは三十か所あまり。段成式はその体を、完膚なしと書きました。陳至はこれを「白舎人行詩図(はくしゃじんこうしず)」と呼んだそうです。舎人は、白居易の役職名です。

第3話 · 菊の句の作者

ところが、二つの句のうち菊のほうは、白居易ではなく、親友の元稹(げんしん)の詩「菊花」の一句です。白居易自身も、この句を元稹の詩として挙げています。

元稹は白居易の詩集の序文(824 年)で、白居易の詩が壁という壁に書かれ、他人の詩まで白居易の名で出回っているとこぼしています。取り違えたのが葛清なのか、書き留めた段成式なのかは分かりません。

同じ章には、全身にいれずみを入れた街の乱暴者「三王子」も出てきます。こちらは「遍身圖刺,體無完膚」——全身に図柄を彫り込み、体に完膚なし。

『精選版 日本国語大辞典』が漢籍として挙げるのは、さらに別の体です。病気を装うために全身に灸をすえた、唐の劉廼(りゅうだい)の話(『新唐書』)。傷、いれずみ、灸。肌を埋め尽くしたものは、本によってさまざまでした。

第4話 · 真っ黒な辞典

日本では、明治の政治小説『経国美談(けいこくびだん)』(1883〜84)に「身に完膚なし」が見えます。そして『精選版 日本国語大辞典』が挙げる「完膚なきまで」のいちばん古い例は、夏目漱石の『永日小品』(1909)です。

ロンドンで漱石にシェイクスピアを教えたクレイグ先生が、手持ちのシュミットのシェイクスピア辞典を見せてくれた場面。

前後二巻一頁として完膚なきまで真黒になっている(夏目漱石『永日小品』)

どのページも、先生の書き込みで真っ黒だった。先生は得意げに、その辞典を二本の指でぴしゃぴしゃ叩いてみせます。

覆い尽くされたのは肌ではなく紙ですが、文字がすき間なく表面を埋めたという点で、詩を彫った葛清の体とよく似ています。

いま「完膚」は、ほとんど「完膚なきまで」の形でしか使われません(戦後の国会の会議録に出てくる 143 回のうち、138 回)。叩きのめす、論破する。傷の言葉に戻ったように見えて、その手前には、余白を残さず詩を彫り込んだ肌がありました。