「推敲」という言葉、いま使うのはだいたい「文章を直すこと」。原稿を読み返して言い回しを選び直す、メールを送る前に書き直す——書きものをする人なら、しょっちゅう顔を出す一語です。
でも語源をたどると、これは紀元 820 年ごろの唐の都で、ロバに揺られたひとりの詩人が「押すか、叩くか」と、たった二文字に悩み続けた、街角の一場面なんです。
第1話 · ロバの上で、詩を練る
舞台は紀元 820 年ごろの長安。
主人公は、賈島(かとう)。もとは僧侶(法名は無本)。いまは科挙を志して都に出てきていた——そんな男です。
ある日、賈島は山あいに住む友人・李凝(りぎょう)の幽居を訪ねました。が、生憎の留守。仕方なく日が暮れるなか、ロバに揺られて都へ戻る道すがら、頭のなかで詩を練っていました。
題はあとから付ける、まずは句から。出てきたのは、こんな対句でした。
鳥宿池辺樹,僧推月下門 (鳥は池辺の樹に宿り、僧は月下の門を推す)
悪くない、と思った瞬間、ふっと別の語が浮かびます。
「『推す』より、『敲く(たたく)』のほうが——いいんじゃないか」
第2話 · 押すか、叩くか
日が暮れかかる長安の街路。ロバの上で、賈島はぶつぶつ口に出してみる。
「僧は推す月下の門」「僧は敲く月下の門」。
手綱はもう忘れていました。右手で見えない門を押すしぐさをし、また握りなおして叩くしぐさをし——どちらが響くか、どちらが画として見えるか、何度も指で空を切る。
押せば、静かに進む僧の絵。 敲けば、月夜の門に音が響いて、かえって静けさが立つ絵。
うーん、と賈島は唸りながら、前を見ていない。気がつけば、立派な行列が目の前まで来ていた——もう、避けられない。
第3話 · ぶつかった先は
ぶつかったのは、当時、京兆尹(けいちょういん)——いまでいう長安の市長役——を代理で兼ねていた、韓愈(かんゆ)の行列でした。
韓愈は古文運動の中心、当代きっての文章家であり、漢詩の名手でもありました。容赦なくロバから引きずり降ろされた賈島は、護衛の役人にがしっと両腕をつかまれ、行列の前へ突き出されます。
普段なら、見せしめに笞打ちでも始まるところ。
でも、韓愈は違いました。賈島が震えながら「すみません、詩のことで……」と詫び始めると、馬を止めて、続きを促します。
賈島は息を整え、「鳥宿池辺樹,僧推月下門」のあとに「推す」か「敲く」かで迷っていて、つい前を見ていなかった——と打ち明けたわけです。
第4話 · 韓愈、しばらく考えて
韓愈はしばらく、馬の上で目を閉じて考えました。
「敲のほうがよかろう。月夜に音が響いて、かえって静けさが立つ。推では、その夜の音がない」
それで詩は決まりました。いまに伝わる賈島『題李凝幽居』の本文は——僧敲月下門。
そして韓愈は不思議なことに、賈島を罰せず、そのまま馬とロバを並べてしばらく詩を論じ合ったと伝わります。以来、二人は身分の差を越えて、親しく交わっていったわけです。
「推」と「敲」、たった二文字をめぐる、ロバの上の悩み——それが、文章を何度も練り直すことの名前として、東アジアに残ったわけです。
会議のあと「ちょっと推敲します」と言うとき。原稿の余白で言葉をぐるぐる回しているとき。そこにはロバの上で、空を押したり叩いたりしていた千二百年前の賈島が、うっすら立っている——わけです。