「韓信の股くぐり」という言葉、いま使うのはだいたい「大成する者は、一時の屈辱には耐える」。試合に負けた選手のコメントや、社長の昔語りに、ぽつりと顔を出す一語です。

でも語源をたどると、これは紀元前 210 年ごろの淮陰(わいいん)の市場で、まだ何者でもなかった一人の若者が、無頼の屠夫の股下をくぐった——その夕方の話だったんです。

第1話 · 淮陰、剣を提げてぶらつく若者

舞台は秦末、紀元前 210 年ごろの淮陰。淮河の南、いまの江蘇省・淮安あたりの、海にも近い町です。

そこに、韓信(かんしん)という若い男がいました。年は、たぶん二十歳前後。家はとうの昔に没落し、農にも商にも就かない。日々をぶらぶらと流し、人の家に上がり込んで飯を食わせてもらう——そんな暮らしです。

それでも、腰にはを提げていた。「自分は士のすじだ」というのが、本人の譲れない一点でした。

南昌(なんしょう)亭の亭長の家に、数か月転がり込んだこともある。だが亭長の妻が嫌がって、朝飯を早めにすませて韓信の分を残さない日が続き、ある朝、彼は無言で立ち去った。

城外の淮水(わいすい)のほとりで魚を釣っていたとき、洗い物をしていた老婆——漂母(ひょうぼ)と呼ばれる織物の洗い人——が、見かねて自分の弁当を分けてくれました。十日ばかり、毎日です。

「いつかきっと、この恩は返します」——若者が頭を下げると、漂母はむしろ怒った。

「立派な男児が、自分の食い扶持も稼げないのを哀れに思っただけだ。恩返しなど、はじめから当てにしていない

韓信は、その言葉を、生涯忘れません。

第2話 · 市場で、屠夫が立ちはだかる

ある日、町の市場を歩いていた韓信の前に、一人の若者が立ちはだかります。屠夫(とふ)——豚や羊をさばく仕事の青年で、町ではちょっとした顔役だった、と『史記』は伝えます。

屠夫は、人だかりの中から声を張りました。

「おい、お前。図体ばかり大きくて、剣まで提げて、いっぱしの士のつもりか。だが、お前は臆病者だ」

集まってきた町の連中の前で、屠夫はさらに続けます。

勇気があるなら、その剣で俺を刺してみろ。できないなら、俺の股の下をくぐって行け

そう言って、両足を広げて、仁王立ちになった。

剣を抜けば、その場で屠夫を斬り殺すことはできる。だが、殺せば、自分も法に問われて殺される。腰の剣は、まだ何の手柄も立てていない、自分自身のしるしです。

韓信は、しばし、屠夫の顔をじっと見つめた。

そして——身を伏せて、屠夫の股の下を、ゆっくりとくぐり抜けて出ていった。

『史記』はこの場面を、ごく短く書いています。

信、孰(じゅく)視之、俛(ふ)して袴下に出で、蒲伏す ——韓信はその者をじっと見つめ、伏して股の下に出て、地を這うようにした

市場じゅうが笑った。あの剣も虚仮(こけ)だ、と。

第3話 · 蕭何の馬、楚から漢へ

それから数年。

天下の秦が崩れ、項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)が天下を争う時代になりました。

韓信は、まず項羽の楚軍に身を寄せます。戟(げき)を執る郎中(ろうちゅう、警護役)。何度も建策しましたが、若く血気の盛んな項羽は、彼の進言に耳を貸しません。

「ここでは活かせない」——韓信は、楚を出て、漢中に逃れる劉邦のもとへ転じます。だが漢でも、最初は兵糧の役どまり。罪に問われて斬られかけたところを、夏侯嬰(かこうえい)にすくわれ、治粟都尉(ちぞくとい)に取り立てられました。

それでも、まだ大隊を率いる場には立てない。やがて夜陰に紛れて、韓信は漢中からも出奔します。

それを追って馬を駆ったのが、漢の宰相・蕭何(しょうか)でした。蕭何は連れ戻した韓信を、劉邦の前でこう評します——「諸将は容易に得られる。韓信のごとき者は、国士に二人といない」。

ここから韓信の物語が始まります。漢中を出て関中を平定し、井陘(せいけい)で背水の陣を敷き、垓下(がいか)で項羽を追いつめる——漢が天下を取るまでの戦の多くを、この大将軍が指揮した。

淮陰の市場で股をくぐった若者が、十数年後には漢の天下取りの片腕になっていた、ということです。

第4話 · 楚王となって、淮陰に帰る

天下が定まり、韓信は楚王に封じられ、生まれ故郷の淮陰を治める身になります。

故郷に帰った彼は、まず、漂母を呼び寄せました。釣り場のほとりで弁当を分けてくれた、あの老婆です。韓信は、彼女に千金を与えた。

次に、転がり込んだ南昌亭の亭長を呼びます。こちらには百銭を渡し、「お前は小人だ、徳を貫けなかった」とだけ言い添えた。

そして、最後に呼んだのが、あの屠夫でした。

家臣たちは、てっきり斬られるものと思って見ていた、と『史記』は伝えます。

ところが韓信は、屠夫に中尉(ちゅうい)——治安と軍兵をあずかる職を与え、こう言ったのです。

「これは壮士である。あの日、あの男を斬ったところで、わが名は出なかったろう。だから、辱(はずかしめ)を呑んで、今日まで来た。あの一瞬を耐えたから、今がある

殺せた相手を、殺さなかった。

「韓信の股くぐり」という一語は、屈辱を耐えた話、というだけではなく、怒りで失わせなかった自分自身を、後で活かした話——として、二千二百年経った今も残っているわけです。

ふと、剣の柄に手がかかりそうになった夕方。淮陰の市場の砂埃を、思い出してもいい——のかもしれません。