「鶏鳴狗盗」という言葉、いま使うのはだいたい「人に誇れない、くだらない特技」や「こそこそした小細工で立ちまわる人物」を、少し見下して言う場面でしょうか。あまり褒め言葉では使われません。

でも語源をたどると、これは戦国時代の中国で、まさにその「くだらない特技」の持ち主二人が、主君の命を救った——という、わりと痛快な話なんです。

第1話 · 孟嘗君と、三千の食客

舞台は戦国時代。斉の公子孟嘗君(もうしょうくん)は、平原君・信陵君・春申君とならぶ「戦国四君」のひとり。天下に名を知られた大物です。

孟嘗君の評判を高めたのは、その人の集め方でした。身分も、特技も問わず、訪ねてきた者をかたっぱしから客として養う。その数、食客三千とも。

なかには、「これが何の役に立つのか」と首をかしげたくなる連中も混じっていました。犬のようにこっそり忍び込む盗みの名人。鶏の鳴き真似がやたらにうまい男。ほかの食客たちは、こういう手合いを、内心、見下していたといいます。

第2話 · 秦の昭王、招いて、捕らえる

その名声が、西の大国・秦にも届きます。秦の昭王は孟嘗君を招き、自国の宰相に据えようとしました。

ところが、家臣が止めます。「孟嘗君は斉の公子。秦の宰相にしたところで、まず斉の利を考えるに決まっている。秦のためにはなりません」と。

もっともだ、と昭王は考えを変えます。けれど、ここで帰せば、内情を知られたまま敵に塩を送ることになる。そこで昭王は孟嘗君を幽閉し、ひそかに殺そうとしました。招いておきながら、闇に葬ろうというわけです。

第3話 · 狐白裘を、盗む

追いつめられた孟嘗君は、昭王の寵姫に助けを求めます。口添えを頼むと、寵姫はこう返してきました。

妾(わたし)は、あなたさまの狐白裘をいただきたい

狐白裘(こはくきゅう)とは、狐のわきの下の白い毛だけを集めて仕立てた、最高級の毛皮。ところが、それはこの世に一着きり。しかも孟嘗君は、秦に入るなり、すでに昭王へ献上ずみだったのです。

万策尽きたか、と思われたとき。あの、盗みの名人——狗盗(くとう)の食客が、夜、宮殿の蔵に犬のように忍び込み、献上された狐白裘を、まんまと盗み出してきました。それを寵姫に贈ると、寵姫は枕もとで王に取りなし、孟嘗君は釈放されます。

第4話 · 函谷関、夜明け前の一声

孟嘗君は、釈放されるやいなや、姓名を偽り、馬を飛ばして国境へ走りました。案の定、昭王はすぐに気を変え、追っ手を放ちます。

一行が函谷関(かんこくかん)にたどり着いたのは、まだ夜中。だが、関所にはこんな決まりがありました——一番鶏が鳴くまで、門は開けない。夜明けを待っていたら、追っ手に追いつかれてしまう。

そのとき、進み出たのが、鶏の鳴き真似の名人でした。彼がひと声「コケコッコー」とやると、つられて近くの鶏が次々に鳴きはじめる。関守は朝が来たと思い込み、門を開けました。一行はするりと関を抜け、追っ手が着いたときには、もう影も形もなかったといいます。

侮られていた二人の、くだらないはずの特技が、主君の命をつないだ。これが、『史記』孟嘗君列伝の伝える一部始終です。

ところが後世、この言葉の評判は、なぜか下がります。北宋の政治家王安石は「読孟嘗君伝」という短文で、こう斬って捨てました。

孟嘗君は、ただ鶏鳴狗盗の親玉であったにすぎない。どうして真の人材を得たといえようか

本当に優れた士がいたなら、こんな小細工に頼らずとも秦をしのげたはずだ、と。この辛口の評が広まって、「鶏鳴狗盗」は「くだらない特技」の側の意味で定着していきました。

それでも、あの夜の函谷関を思えば——いざというとき、人を救うのが、いつも「立派な才能」とはかぎらない。侮っていた誰かの、ちっぽけな特技にこそ助けられる日が、ふいに来るのかもしれません。