「捲土重来を期す」。一度負けた人が、もう一度と誓うときに使います。負けたチーム、落ちた候補者、うまくいかなかった企画。前を向く言葉として、ずいぶん便利に働いています。

ただ、この四字を書いた人は、誰かの再起を見届けたわけではありません。自分より千年余り前に死んだ男に向かって、「もし戻っていたら」と書いた。しかも当の本人は、戻れる舟を目の前にして断っています。

第1話 · 舟は、用意されていた

紀元前 202 年。垓下(がいか)で漢軍に囲まれた項羽(こうう)は、わずかな手勢とともに南へ逃れ、長江の渡し場にたどり着きます。烏江(うこう)です。

そこには舟が一艘、待っていました。土地の亭長が寄せてきたものです。対岸の江東は小さいけれども、地は方千里、民は数十万。まだ王になれます、と亭長は言った。追ってくる漢軍に舟はない。渡れば、助かる場面でした。

項羽は笑います。天が自分を滅ぼそうとしているのに、渡ってどうなる。それに——と続けたところが、この場面のすべてです。

江東の子弟八千人と江を渡って西へ行ったのに、いま一人も還っていない——『史記』項羽本紀は、項羽の言葉をそう伝えます。八千人を連れ出して、一人も連れて帰れなかった。江東の父兄が憐れんで王にしてくれたとして、自分はどんな顔で会えばいいのか。項羽は舟に乗らず、亭長には馬だけを譲り、追いついた漢軍のなかで自ら首を切ります。数えで三十一でした。

第2話 · 千年後の旅人

時代が飛びます。九世紀、唐。詩人の杜牧(とぼく)が旅の途中で烏江亭を通りかかりました。項羽が舟を断った、あの渡し場です。

そこで書いたのが「題烏江亭」です。

江東の子弟 才俊多し/捲土重来 未だ知る可からず——江東子弟多才俊、捲土重來未可知(杜牧「題烏江亭」)

前半二句と合わせると、こういう詩です。勝ち負けは兵法の家にも予測がつかない。恥を抱えこんで耐えるのが男というものだ。江東にはまだ見どころのある若者が多かった。土を巻き上げてもう一度攻め上っていたら、どうなっていたかは分からない——。

記録ではありません。起きなかったことについての、千年越しの後知恵です。

第3話 · 土を巻き上げる、とは

「捲土」は、土を巻き上げること。巻き上げるのは、走る軍馬の脚と兵の足です。地面の砂ぼこりが立ちのぼるほどの勢いで押し寄せる——その土煙が、そのまま言葉になっている。

「重来」の重は「かさねて」の意味なので、読みは本来けんどちょうらいです。辞書は「けんどじゅうらい」も慣用として載せますが、字を追えば「ちょうらい」に落ち着きます。

勢いだけを言っているようで、この四字はかならず一度の負けを含んでいます。土煙は「もう一度」の土煙であって、初めて攻める軍の土煙ではない。負けを抱えたまま立ち上がる形が、この語の出どころからして入っている。

詩の前半で言っていたのも、そこでした。勝敗は読めない、恥を忍ぶのが男だ——負けたあとに何をするかの話であって、負けないための話ではない。杜牧がこの四字を置いたのは、そういう文脈の末尾でした。

第4話 · 二百年後の、首の振りかた

話には続きがあります。二百年ほどのち、北宋の王安石(おうあんせき)が、同じ烏江亭を題にして詩を作りました。

江東の子弟 今在りと雖も/肯えて君王の与に 捲土して来たらんや——江東子弟今雖在、肯與君王捲土來(王安石「疊題烏江亭」)

こちらも前半二句と合わせると、こうです。百戦の疲れ、一度失った勢いは戻らない。江東の若者が今もいたとして、あの王のためにもう一度、土煙を上げて戻ってくるものか——。杜牧の「もしも」に、正面から首を振ってみせたわけです。

同じ渡し場を詠んで、片方は「分からない」と言い、片方は「来るものか」と言った。日本語に入ったのは、杜牧のほうだけでした。

渡らなかった人がいて、渡っていたらと書いた人がいて、いや戻りはしないと書いた人がいる。三人ぶんの言葉のうち、いちばん叶わなかった一つが、いまも再起の合図として使われています。