「奇貨居くべし」。めったに出ない好機だから、逃さず手に入れておけ。そういう意味で使われます。いま実際によく見るのは「〜を奇貨として」のほうかもしれません。事件や混乱を材料に使う、という含みです。
ただし『史記』で「奇貨」と呼ばれたのは、品物ではありません。ひとりの若者——それも、誰も買い手のつかないひとりでした。
第1話 · 邯鄲で足を止めた商人
戦国の末、呂不韋(りょふい)という商人がいました。『史記』は陽翟(ようてき)の大商人と書きます。安いところで買い、高いところで売り、家には千金が積んであった。
その呂不韋が趙の都・邯鄲(かんたん)で商いをしていたとき、ひとりの若者を見かけます。秦から人質に出されていた公子で、『戦国策』はこの人を異人(いじん)と呼びます。
秦王の孫ではあります。ただし父の安国君(あんこくくん)には子が二十人あまりいて、この人はそのなかの側室腹。そのうえ秦は趙に兵を向け続けている。人質の暮らしは寒々しく、車も金も足りない。戦が起きるたび、真っ先に殺されてもおかしくない立場です。
将来性でいえば、限りなく低い。
呂不韋だけが、そこで足を止めます。
第2話 · 此れ奇貨なり
此れ奇貨なり、居くべし——此奇貨可居(『史記』呂不韋列傳)
奇貨は珍しい品物、居くは買って手元に置いておくこと。値が上がるまで寝かせておく、相場を張る側の言い回しです。人ひとりを前にして、呂不韋はその言葉を使いました。
家に帰った彼は、父にこう尋ねたと『戦国策』は伝えます。
田を耕して、利は幾倍か。十倍。珠玉のもうけは幾倍か。百倍。国家の主を立てるもうけは幾倍か。無数(『戦国策』秦策五)
畑と、宝石と、国の主をひとり立てること。呂不韋は三つを同じ表に並べ、利回りだけを比べています。父の答えは、無数。
畑の実りも宝石の値も、上限が見えています。人ひとりに賭けるのは、当たれば無数、外れればすべて消える商いです。呂不韋は、いちばん当てにならないほうを選びました。
第3話 · 五百金と、名前の付け替え
呂不韋は五百金を異人に渡して交際費にあてさせ、別の五百金で珍しい品を買い集めます。そしてそれを土産に、秦へ向かいました。
狙いは太子・安国君の正夫人、華陽夫人(かようふじん)です。夫人には子がありませんでした。そして、跡継ぎの人選を動かせるのは、この人だけでした。
呂不韋は夫人の姉を通じて説きます。いまは愛されていても、子がなければ、代が替わったときに寄る辺がない。見どころのある公子を、早いうちに養子にしておくべきだ——。理は通っていました。夫人は太子に泣いて頼み、約束は玉の割り符に刻まれます。
こうして異人は、夫人の養子になります。夫人は楚の生まれだったので、名も「子楚(しそ)」に改めさせられました。名前まで、買い手の都合に合わせて付け替えられている。
やがて秦の昭襄王(しょうじょうおう)が死に、安国君が跡を継ぎました。ところがこの人——孝文王(こうぶんおう)は、喪が明けて正式に即位した三日後に亡くなります。子楚が王になりました。荘襄王(そうじょうおう)です。呂不韋は丞相となり、文信侯に封じられ、河南洛陽の十万戸を与えられました。
第4話 · 清算された投資家
荘襄王も、三年で死にます。十三歳の政(せい)——のちの始皇帝が王位につき、呂不韋は相国となり、「仲父(ちゅうほ)」と呼ばれるまでになりました。
食客三千人を集めて『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』を編ませるのは、政が成人に近づく頃です。書き上がると、その本を咸陽(かんよう)の市の門に掛けさせ、上に千金を吊るして、一字でも増減できる者に与えると触れました。のちに「一字千金」と呼ばれる出来事です。値をつけて人を動かすやり方は、邯鄲にいた頃と変わっていません。
けれど、そこまででした。呂不韋が引き入れた嫪毐(ろうあい)が事件を起こすと、呂不韋もこれに連座して職を解かれます。封地の河南に下って一年あまり、蜀へ移れという書が届きます。呂不韋は毒を仰ぎました。
買った株は、上がりきりました。上がりきったところで、買った本人のほうが清算された。
いま「奇貨居くべし」と言うとき、頭にあるのはたいてい機会やタイミングです。もとの一文が指していたのは、趙の都で誰も値をつけなかった、ひとりの若者でした。