手紙に貼る、あの小さな紙。「切手」と書きます。

切る、手。字面からは何も見えてきません。なぜあれが「切手」なのか。

第1話 · 切符と、手形

答えは、二つの言葉の合成です。「切手」は「切符」と「手形」を合わせた語だと辞書は説明します。

切符は、割符(わりふ)の類。割符はもと一枚の木や紙を切り分け、当事者が半分ずつ持って、後で合わせることで証明にしました。合わさって一つになる形が、そのまま証拠になる。

手形のほうは、金や品物と引き換えられることを証する紙です。「手形」という語自体は、いまも別の形で金融の場に残っています。

二つ合わせて、引き換えの証券。つまりこの二字は、はじめから券を指す言葉でした。郵便はまだ、どこにも出てきません。

第2話 · 饅頭切手、羊羹切手

江戸時代、「切手」は暮らしのなかにありました。

大きなところでは米切手。大名は年貢米を大坂などの蔵屋敷に運んで売ります。買い手に渡すのが、米と引き換えられるこの紙でした。

紙のほうが米より軽い。だから米切手そのものが売り買いされ、値がつき、相場が立ちます。実物を動かさずに取引だけが回る仕組みが、江戸のうちにできあがっていた。

小さなところでは、菓子です。大坂・高麗橋の菓子屋虎屋伊織(とらやいおり)の饅頭切手(まんじゅうきって)が知られています。大阪歴史博物館に残る帳簿によれば、明和八年(1771 年)の一年だけで、頒布した切手は六万一千八百九十四枚。紙を買って人に贈り、受け取った側が店で饅頭と換える。いまの商品券やギフト券と、ほとんど同じ仕組みです。

ほかにも羊羹、鰹節、うなぎ、酒——いろいろな切手が各地の商家から出ました。江戸の人は、菓子折りの代わりに紙を贈っていたわけです。

第3話 · 借りてきた名前

明治になり、郵便の制度が作られます。設計したのは前島密(まえじまひそか)。明治四年(1871 年)、郵便の創業とともに、日本で最初の郵便切手が発行されました。もっとも前島自身はこのとき渡英中で、開業の実務は杉浦譲(すぎうらゆずる)が担っています。

それまで手紙を運んでいたのは飛脚でした。前島が持ち込んだのは、送る側が先に払うという仕組みです。料金そのものは創業時まだ距離別で、全国どこでも同じ額になるのは二年後、明治六年のことでした。

先に払ったことを証明する紙が要る。ここで新しい語を作る手もありました。

ところが、作りませんでした。すでに庶民が知っている「切手」を、そのまま借りたのです。

券を買って、貼って、その分だけ運んでもらう。江戸の饅頭切手と、やっていることは変わりません。飛脚に頼めば済んでいた人に、紙を先に買って貼れ、と言う。見たことのない語まで持ち出したら、覚えることが二つになる。「あの切手の郵便版だ」なら、それで通る。

第4話 · 貸したほうが、消えた

そして時代が進みます。

米切手は、郵便切手が発行されたのと同じ明治四年に、発行を禁じられました。菓子の切手は、商品券や引換券という別の名前に置き換わりました。いま「切手」といえば、郵便のあれ一つです。

言葉としては、あまり見ない終わり方です。ふつうは新しい意味が古い意味の隣に増えていく。この二字の場合は、借りていった側だけが残り、もとの持ち主のほうが名前を手放しました。贈り物のための紙が、通信のための紙に置き換わった。同じ二字のまま、用途だけが入れ替わっています。

いまは記念切手を集める人もいます。引き換えるための紙が、引き換えずに取っておく紙になった。券としての役目からも、少し離れたところに来ています。

切手を貼るとき、私たちは江戸の菓子屋の紙と同じ二字を、そこに貼りつけていることになります。