「営業部の紅一点」「メンバーで紅一点」。男性ばかりの集まりに、女性がひとりだけいることです。
辞書を引くと、もとは北宋の王安石の詩「詠柘榴(ざくろを詠ず)」の一句、「万緑叢中紅一点」。一面の緑の中に、赤い花が一輪だけ咲いている、という意味だと説明されます。もとは花の話で、女性とは関係がなかった——そう紹介されることもよくあります。
ところが、宋の時代の記録までさかのぼると、句の形も、作者も、そして「女性とは関係がない」という点も、少しずつ揺らぎはじめます。
第1話 · 一輪だけの石榴
王安石と同じ北宋の江休復(こうきゅうふく)は、随筆『嘉祐雑誌(かゆうざっし)』にこう書き留めました。王介甫(安石)は若いころ、石榴の花の詩を作った。
濃緑万枝紅一点、動人春色不須多(江休復『嘉祐雑誌』)
濃い緑の枝々に、紅がひとつ。人の心を動かす春の色は、たくさんはいらない。句の頭は「万緑叢中」ではなく「濃緑万枝」です。辞書が引く「万緑叢中」の形も、「詠柘榴」という題も、この二句を伝える宋代の記録には出てきません。
王直方(おうちょくほう)の『詩話』は、若いころではなく、王安石が翰林学士だったころの作だと伝えます。翰林院の庭の石榴が、枝も葉もよく茂っているのに、花をひとつしかつけなかった。それを見て題した詩だ、と。ただし王直方は、全篇を見たことがないのが残念だとも書いています。宋代の記録が伝えるのも、この二句だけです。
第2話 · 誰の詩か
作者の話も、宋の時代のうちに割れていました。
陳正敏(ちんせいびん)の『遯斎閑覧(とんさいかんらん)』は、この句を作者の分からない唐の人の詩とし、王安石が自分の扇に書いていたのを見た人がいるだけで、王安石の作というのは誤りだ、と言います。周紫芝(しゅうしし)の『竹坡詩話(ちくはしわ)』は、人から聞いた話として、弟の王安国の詩だとしています。南宋の胡仔(こし)は、詩話を集めた『苕渓漁隠叢話(ちょうけいぎょいんそうわ)』で、王安石の作とする王直方と、唐の人の詩とする陳正敏の説を並べ、「二説、未だ孰れか是なるを知らず」。どちらが正しいか分からない、と判断を預けました。
ちなみに、ネットで王安石の「全文」として出回る四句の詩は、前半の二句が、道元の師で南宋の禅僧・如浄(にょじょう)の言葉です。如浄は五月の説法で「今朝五月正清和、榴花詩句入禅那」と切り出し、続けて「濃緑万枝紅一点」の二句を引いていました。
第3話 · 欄干の美人
では、この赤い花はいつ女性になったのか。
南宋の陳善(ちんぜん)は『捫蝨新話(もんしつしんわ)』で、この句を「嫩緑枝頭紅一点」の形の唐の人の詩として引き、こんな話を書いています。昔、この句を題にして、画工(絵師)の腕を試したことがあったと聞く。画工たちは競って花や草に春の色を盛ったが、誰も選ばれない。ただ一人、高くかすむ楼閣に緑の柳が見え隠れするなかで、欄干にもたれて立つ美人を描いた者がいて、画工たちはみな負けを認めた——。
陳善はこれを詩人の心をよく汲んだ絵とほめ、唐の玄宗が楊貴妃を「解語花(ことばを解する花)」と呼んだ話を引きます。緑の中の赤を、女性と読む見方は、遅くとも南宋にはあったわけです。明の時代になると、同じ話は、芭蕉の下に立つ美人の唇に紅を一点さした画工が勝った、という形に変わります。
第4話 · 金ボタンと「女尊男卑」
日本ではどうか。『精選版 日本国語大辞典』が「紅一点」の項に挙げるいちばん古い例は、内田魯庵の『社会百面相』(1902)。フロックコートや紋付羽織袴の男たちの会合で、「殊に目に立つ紅一点は金釦鈕(きんボタン)の制服である」。目立っていたのは、男性の制服でした。同じ項目が女性の意味に挙げる例は、ずっと下って 1942 年です。
ところが、女性を指す使い方は、1942 年よりずっと早くから見えます。景山英子(かげやまひでこ。のちの福田英子)の回想録『妾の半生涯』(1904)によると、1889 年、大阪事件で投獄されていた英子が出獄し、大阪で歓迎を受けた席で、中江兆民は「今日は女尊男卑なり」と言って彼女を「満緑叢中紅一点」(「満」は原文のまま)と呼び、テーブルの上に座らせたといいます。
目立つ一つの意味も、女性の意味も、明治のうちに出そろっていました。兆民が英子をそう呼ぶ何百年も前に、緑の中の赤を女性と読む見方は、海の向こうの本にもう書き留められていたのです。