「虎穴に入らずんば虎子を得ず」。いま使うのは、危ない橋を渡らないと大きな成果は手に入らない、という場面。十三文字と長いので、「虎穴に入らずんば」と前半だけで切り上げることもあります。

ただ、これを言った人は、虎の巣に手を入れてはいません。舞台は西域の砂漠、相手は匈奴(きょうど)の使者。しかも言い出したのは、十年ほど前まで役所で本を書き写していた人でした。

第1話 · 筆を、置く

主人公は班超(はんちょう)。兄は『漢書』を編んだ班固(はんこ)、妹は班昭(はんしょう)。学者の家です。

西暦 62 年、兄が召されて洛陽へ移ると、班超も母を連れて移ります。家は貧しく、就いた仕事は役所の傭書(ようしょ)——雇われて文書を書き写す筆耕でした。

来る日も来る日も、写す。あるとき班超は、筆を投げ出しました。

大丈夫(だいじょうふ)、他に志略無くとも、なお傅介子・張騫に効(なら)い、異域に功を立てて封侯を取るべし。いずくんぞ久しく筆研の間に事(つか)えんや

傅介子(ふかいし)も張騫(ちょうけん)も、前漢のころ西域で名を挙げた人です。まわりは、笑いました。班超は言い返します。「小僧どもに、壮士の志が分かるものか」。

第2話 · 王の礼が、薄い

十一年後の 73 年。竇固(とうこ)の匈奴遠征で別働の兵を率いた班超は、手柄を立てます。竇固は「使える」と見て、班超を仮司馬(かりのしば)——隊長格に据え、文官の郭恂(かくじゅん)と組ませて西域へ送り出しました。

最初に入ったのが鄯善(ぜんぜん)。かつて楼蘭(ろうらん)と呼ばれ、班超が手本に挙げた傅介子が王を討ち、漢が国名を改めさせた、まさにその国です。

王の名は広(こう)。はじめは手厚くもてなしてくれた。ところが、ある日から急にそっけない。班超は部下に言います。「匈奴の使いが来て、どちらに付くか迷っているのだ」。

そして現地の世話役を呼び、もう知っている、という顔で聞きました。「その使い、来て何日になる。いま、どこにいる」。男は震え上がり、洗いざらい白状しました。

第3話 · 酒が、回ったころ

班超はその男を閉じ込め、部下三十六人を集めて酒を出します。酔いが回ったころ、わざと煽るように切り出しました。

我々はこんな絶域(ぜついき)まで来ている。匈奴の使いが着いて数日で、王の礼はもう消えた。鄯善が我々を縛って匈奴に渡したら、骨は永く豺狼(さいろう)の餌だ。どうする——と。

部下たちは答えます。「生き死には、司馬どのに従います」。そこで出たのが、この一語でした。

虎穴に入らずんば、虎子を得ず。今の計は、ただ夜に因(よ)りて火を以て虜を攻むるのみ

ところが部下たちは渋ります。「従事と相談すべきでは」。同行の郭恂に諮ろう、というわけです。班超は怒りました。「吉凶は今日で決まる。従事は文俗の吏だ。聞けば怖がって謀が漏れる」。

もとは筆耕だった男が、文官に相談するな、と言ったわけです。

第4話 · 風の、夜

その夜。日が暮れてすぐ、三十六人は匈奴の陣へ向かいます。運のいいことに、大風が吹いていた。

班超は十人に太鼓を持たせて匈奴の宿舎の裏へ回し、火が上がったら叩いて喚けと命じます。残りは弩(いしゆみ)を構えて門の両脇に伏せた。そして風上から、火。

太鼓と喚き声が前後から上がり、匈奴側は何が起きたのか分からないまま崩れます。班超は自ら三人を斬り、部下は使者とその従者三十人あまりを斬った。残る百人あまりは焼け死んだ。

翌朝、報告を受けた郭恂は顔色を変えます。手柄から外された、と思ったんです。班超は「独り占めしようなどと思うものか」と手を挙げて制しました。

それから王の広を呼び、使者の首を見せる。鄯善は漢に付きました。班超はこのあと三十年あまり、西域から帰っていません。

さて、この一語、いちばん古い記録では字がひとつ違います。後漢が自前で編んだ『東観漢記』は「不探虎穴」——入るのではなく、探る。暗がりに手を突っ込んでまさぐる形です。「不入虎穴」で載るのは、三百年ほど後の『後漢書』のほうでした。

日本語が受け継いだのは、後者のほう。だから私たちは、いまも穴に「入る」ことになっています。

そして虎子は、虎の子ども。班超が抱えて帰ったのは、匈奴の使者の首でした。