「烏合の衆」という言葉、いま使うのは「規律も統率もない、寄せ集めの集団」という場面です。数だけは多い。でも、まとまってはいない——そんな、なかなか手厳しい一語です。

でも語源をたどると、これはいまから二千年前の中国、天下がひっくり返った大乱世で、二十一歳の若者が言い放った、強気すぎるひと言なんです。

第1話 · 「漢の皇子」を名乗る男

舞台は紀元後 23 年ごろの中国。前漢を乗っ取って「新(しん)」という王朝を建てた王莽(おうもう)が失政の末に倒れ、天下は、無数の勢力が入り乱れる大混乱に陥っていました。

そのさなか、河北の邯鄲(かんたん)に、とびきり大胆な男が現れます。占い師の王郎(おうろう)。「自分は前漢の成帝の子、劉子輿(りゅうしよ)である」と名乗って、皇帝に即位してしまったのです。

まったくの偽者でした。けれど乱世に、「漢の皇子」の看板はよく効きます。河北の街々は、雪崩を打って王郎へなびいていきました。

第2話 · 二十一歳、道をふさがれる

そのころ、北辺の上谷(じょうこく)郡から、一人の若者が南へ向かっていました。上谷太守の息子、耿弇(こうえん)、二十一歳。父の名代として、漢の復興を掲げて長安に立った更始帝(こうしてい)の朝廷へ、書状を届ける旅です。

ところが道の途中で、王郎の即位が伝わってきます。行く先々の町は、次々と「皇帝」の側へ。すると従者の孫倉(そんそう)と衛包(えいほう)までが、足を止めて言い出しました。

「劉子輿さまこそ、成帝の御子。正統の主です。これを捨てて、いったいどこへ行かれるのですか」

街道の空気は、もう王郎一色。従者たちの言い分は、世間の空気そのものでした。

第3話 · カラスの群れなど

耿弇は、剣の柄に手をかけて、言い放ちました。

「王郎など、しょせん取るに足らぬ賊、まがい物だ。いずれ捕虜になって終わる」

突騎(とっき)を発して以て烏合の衆を轔(ふみにじ)らば、枯れたるを摧(くだ)き腐りたるを折るが如きのみ(『後漢書』耿弇列伝)

私が長安に着いたら、朝廷に上谷や漁陽(ぎょよう)の騎兵——精鋭の突騎——を出すよう進言する。それであんな「カラスの群れのような寄せ集め」を踏みつぶすのは、枯れ木を砕き、腐った木を折るようなものだ——。

カラスは、群れてはいても、統率されているわけではありません。エサがあれば集まり、物音ひとつで散っていく。数だけを頼みに膨れあがった王郎の軍勢を、耿弇はそう斬って捨てたのです。

従者の二人は、聞き入れませんでした。その場を離れ、王郎のもとへ走っていきました。

第4話 · 若者の言ったとおりに

耿弇は進路を変え、河北にいた劉秀(りゅうしゅう)——のちに漢を再興する光武帝——の陣に馳せ参じます。やがて故郷の上谷からも、隣の漁陽からも、太守たちの送り出した突騎の部隊が、続々と劉秀のもとへ駆けつけました。

そして翌年、あの日の言葉は、そのまま現実になりました。上谷・漁陽の突騎は各地で王郎軍を打ち破り、邯鄲は陥落。「漢の皇子」を名乗った男は、都を追われ、逃げる途中で討たれたのです。

耿弇はその後も転戦を重ね、後漢の建国を支える名将——雲台二十八将(うんたいにじゅうはっしょう)のひとりに数えられていきます。武功の多い人ですが、その最初の見せ場が、この「烏合の衆」のひと言でした。

どれだけ数が多くても、集まる理由が「勢いがあるから」だけの群れは、勢いが止まれば散っていく。カラスの群れという言い方には、若者の強がりだけではない、乱世の人心を見てきた者の観察が入っています。

「烏合の衆」——そう口にするとき、その奥には、「勝ち馬」へ雪崩を打つ人の流れを、街道の真ん中でひとり睨んでいた、二十一歳の横顔がある——のかもしれません。