「虎視眈々(こしたんたん)」。虎が獲物をじっと狙うように、隙あらばと機会をうかがうことです。

出どころは『易経』。儒教の経典で、もとは占いの書です。

そして、この四字が載っている一行の占いの判定は、「吉」でした。

第1話 · 口の形をした卦

易は、陰と陽の線を六本積み上げた六十四の図、卦(け)で吉凶を占います。一本一本の線を爻(こう)と呼び、それぞれに短い判定の文がついています。

虎が出てくるのは、第二十七の卦、頤(い)。頤とは、あごのことです。いちばん上といちばん下が陽の線で、あいだの四本はすべて陰。上あごと下あごのあいだに、口が開いている形です。そこから、食べること、養うことの卦になりました。

その下から四本目の線に、こうあります。

顛頤(てんい)は吉なり。虎視眈眈、その欲逐逐(ちくちく)たり。咎(とが)なし(『易経』頤卦)

養いの向きが、さかさまになっている。それでも吉。虎のようにじっと見下ろし、その欲は途切れずに続く。咎めはない。

「眈々」も、この一句の言葉です。眈(たん)は目へんの字で、後漢の字書『説文解字(せつもんかいじ)』は視ること近くして、志は遠しと説明し、用例にこの一句を挙げています。目は足もとを見下ろしていても、心は遠くを見ている。後漢の学者・馬融(ばゆう)は、眈々を「虎が下を見る様子」と注しました。

さかさまの養いは、下から二本目の線にも出てきます。そちらの判定は凶。のちに唐の朝廷が標準とした注釈書『周易正義(しゅうえきせいぎ)』は、分かれ目をこう説明します。四本目は上の三本の側にいて、いちばん下の線と応じ合っている。そして威厳があって、欲が少ないから吉なのだ、と。

欲は途切れずに続く、と易の本文にはあるのに、です。

第2話 · 凶と出た目

同じ頤の卦の、いちばん下の線。こちらの判定も、凶です。

爾(なんじ)の霊亀を舎(す)てて、我が朶頤(だい)を観る。凶(『易経』頤卦)

霊亀は、占いに使う貴い亀の甲羅。自分の内にある明らかな徳、のたとえです。それを放り出して、他人のあごがもぐもぐ動くのを眺めている。

魏の王弼(おうひつ)は、この線にこう注をつけました。人が食べるのを羨み、人の得た寵愛と俸禄をのぞき見て、先を争う。凶、これより甚だしきはなし、と。

どうでしょう。いまの「虎視眈々」が指す姿は、吉と出た虎よりも、むしろこちらに近い。

第3話 · 同じ朝廷で、逆に読む

では、吉と出た虎はどんな虎なのか。

王弼は、この虎を威あって猛からず——威厳はあるが荒々しくはない、と注しました。

七世紀、唐の太宗は、乱れていた経書を正すために二人の学者へ仕事を命じます。顔師古(がんしこ)には、易を含む五経の本文を定めること。孔穎達(くようだつ)には、その注釈をまとめること。易の注釈が、さきほどの『周易正義』です。孔穎達はそこで、王弼の「威あって猛からず」をそのまま受け、その欲を「欲少なく求むること少なし」と説きました。

ところが本文を定めた顔師古のほうは、別の書物で、この句を踏まえた一句に注をつけています。『漢書』が武帝の時代を「六世耽耽(たんたん)、その欲浟浟(ゆうゆう)」と、耳へんの字で述べたくだりです。顔師古は、これは易の頤卦の句だと断ったうえで、耽耽は威ある目つき、その欲は利を欲するさまだ、と注しました。

同じ皇帝に仕えた二人が、同じ「その欲」を、一方は「少ない」と読み、一方は「利を欲する」と読んでいたわけです。

それから五百年あまり。南宋の朱熹(しゅき)の言葉を弟子が書き留めた記録には、こんな一言が残っています。この爻は、わからん。

第4話 · 列強の目

「虎視」の二字だけなら、奪う側の目という使い方は後漢の末にはもうあり、明や清の小説では、遺産や地位を狙う親族の目になります。

日本では、空海の『三教指帰(さんごうしいき)』(797 年ごろ)に、字の順を入れ替えた「眈眈虎視」がもう見えます。いまの順での早い用例は、江戸の天保年間。寺門静軒(てらかどせいけん)が漢文で書いた戯作『江戸繁昌記』の「虎視眈々、臀、株木に困(くる)しまず」です。後半は同じ『易経』の困卦(こんか)の一句をもじった洒落でした。

意味が固まるのは明治です。論説のなかで、列強がアジアの隙をうかがう様子に、この四字が使われていきます。徳富蘇峰(とくとみそほう)の『将来之日本』には、ロシアが虎視眈々とつねに機会を待っている、という一節があります。

いま使っている「虎視眈々」には、うしろの「その欲逐逐」がついていません。欲の四字を置いてきたかわりに、虎の目そのものが欲を帯びました。

占いの本で吉と出た目が、凶と出た目の役を、いつのまにか引き受けています。