老舗の看板、企業のスローガン、学校の校訓。「温故知新」の四字は、いろんなところに掲げられています。意味はたいてい「古いものと新しいものを、ほどよく」で説明される。

ただ、これはもとの文の前半だけなんです。『論語』に載る孔子(こうし)の言葉は「温故而知新、可以爲師矣」の十文字。四字にまとめるときに、あいだの「而」が抜けています。そしてうしろの五文字は、まるごと消えている。それが、いちばん肝心なところを言っているのに。

おまけに一文字目の「温」をどう読むか、注釈者たちの間でずっと割れている。あたためるのか、たずねるのか。

第1話 · 続きの五文字

原文を見てみます。『論語』為政篇、孔子の言葉です。

故(ふる)きを温めて新しきを知れば、以て師と為るべし——子曰、温故而知新、可以爲師矣(『論語』為政篇)

うしろの「可以爲師矣」——「以て師と為るべし」。人に教える側にまわっていい、という話です。

つまりこの一句、教養のバランス感覚をすすめたものではなくて、先生になれるかどうかの条件だった。南朝梁の皇侃(こうがん)は注釈書『論語義疏(ぎそ)』で、この章を「師と為るの難きを明かすなり」と要約します。北宋の邢昺(けいへい)も「師と為るの法を言う」。

いまの日本の辞書を引くと、語釈に「師」は出てきません。

第2話 · 冷めたものを、もう一度

では「温」のほう。

いちばん古い手がかりは、後漢の鄭玄(じょうげん)が『礼記(らいき)』の中庸につけた注です。そちらにも、同じ「温故而知新」の一句がある。

温は、燖温(じんおん)の温と読む。故(ふる)き学びの熟したものを言う。後に時をおいてこれを習う、これを温と謂う——温、讀如燖温之温、謂故學之孰矣、後時習之、謂之温(『礼記』中庸・鄭玄注)

燖温」は、冷めたものを温め直すこと。邢昺は疏の前半で「温は尋なり」と取りながら、後半で何晏の注を説くくだりにこの鄭玄注を引き、こうも書きます——ちょうど「故き食を温燖(おんじん)するがごとし」と。

昨日の飯を、もう一度火にかける。それが「温故」。学びは、放っておけば冷める。

第3話 · いや、たずねるのだ

一方で、まるで別の読み方があります。

魏の何晏(かあん)がまとめた『論語集解』は、あっさり「温は尋(たず)ぬるなり」。南宋の朱熹(しゅき)『論語集注』も「温は尋繹(じんえき)なり」——繰り返したぐり寄せること、と取る。日本語の「故きをたずねて新しきを知る」という訓読は、こちら側です。

面白いのは皇侃で、どちらか選べと言われても選ばない。『集解』の「温は尋なり」に注をつけ、温は尋繹の義であり、また「燖煖(じんだん)の義」でもある、と書く。両方だ、と。

そもそも邢昺に言わせれば、「尋」という字自体に温める意味がある。誓いを結び直す「尋盟」がその例で、後漢の賈逵(かき)も『春秋左氏伝』の注に「尋は温なり」と書きました。あたためる派とたずねる派は、思ったほど遠くないのかもしれません。

第4話 · 博士を、どう選ぶか

四字がひとかたまりで使われた早い例は『漢書』の成帝紀。紀元前 23 年の詔です。太学の教官について、「宜しく皆古今に明らかに、温故知新し、国体に通達すべし。ゆえにこれを博士と謂う」。ここでも、先生の条件です。

『日本国語大辞典』が最初の書証に挙げるのは、『続日本紀』大宝三年(703 年)三月の制です。地方に置く国博士——諸国の官立学校に置かれた教官を、どう採るかという話の中に、こうあります。「然れども温故知新、其の人有ること希(まれ)なり」。

なり手がいない。千三百年前の、人事の愚痴です。

この四字はずっと「先生」とセットで旅をしてきました。それがいつのまにか、あいだの「而」を抜き、うしろの五文字も落として、四字だけで歩き出す。

冷めた飯を、もう一度火にかける。たぐり寄せて、たずね直す。どちらで読んでも、していることは同じです。わかったつもりのものに、手を伸ばし直す。それができる人が先生だと、二千五百年前に決めた人がいました。