「苦肉の策」という言葉、いま使うのはだいたい「苦しまぎれに考え出した、最後の手段」。資金繰りに行き詰まった末の一手、追い込まれた末の苦渋の選択、といった文脈で見かける一語です。
でも語源をたどると、これは「苦しまぎれ」どころか、緻密に計算された芝居だったんです。自分の身をわざと痛めつけ、敵を信じ込ませる——三国時代、赤壁の戦いを決めた、捨て身の計略の話。
第1話 · 赤壁前夜、曹操の大軍
舞台は建安十三年(二〇八年)、長江のほとり。
華北を平定した曹操が、八十万と号する大軍を率いて南下してきました。迎え撃つのは、孫権と劉備の連合軍。数のうえでは、まるで勝負になりません。
呉の総司令官・周瑜(しゅうゆ)は、一つの策に賭けます。曹操の船団を、火で焼く——火攻め。長江に浮かぶ無数の軍船を、一気に炎で包む。
ただ、火攻めには難題がありました。火を放つには、味方の船が曹操の船団のすぐそばまで近づかなければならない。警戒する敵陣に、どうやって堂々と近づくのか。
第2話 · 老将・黄蓋の献策
ここで進み出たのが、呉の老将・黄蓋(こうがい)。字は公覆、孫堅・孫策・孫権と三代に仕えてきた、歴戦の将です。
正史『三国志』によれば、火攻めを周瑜に進言したのは、ほかならぬこの黄蓋でした。
「いま敵は多く、味方は少ない。長く持ちこたえるのは難しい。だが曹操の軍船は、船首と船尾が連なっている。焼き払って、敗走させることができます」(『三国志』呉書 周瑜伝)
そして黄蓋は、敵にぎりぎりまで近づくための、もう一つの策を添えます——詐降(さこう)、つまり偽りの投降です。曹操へ宛てた偽りの降伏の書は、正史の注にもその文面が残っています。
「曹操に、降伏すると見せかけて近づく。油断したところを、焼く」。決まれば鮮やかな策。だが、疑り深い曹操が、そう簡単に寝返りを信じるか。そこに、もう一段の仕掛けがいりました。
第3話 · 身を打たせる、という芝居
ここからが、小説『三国志演義』が描く名高い脚色です。
黄蓋と周瑜は、ひそかに示し合わせます。軍議の席で、黄蓋がわざと周瑜の作戦に異を唱え、激しく楯突いてみせる。烈火のごとく怒った周瑜は、黄蓋を捕らえ、血がにじむまで杖で打ちすえた。
むろん、芝居です。けれど、その場には曹操の間者が紛れ込んでいた。杖を受け、面目を潰された老将——その姿は、つぶさに曹操方へ伝わります。
やがて黄蓋から、曹操へ密書が届きました。「周瑜に辱められた。もはや呉に未練はない。降伏したい」。先の一件を知る曹操は、ついにこれを信じてしまう。
自分の身を痛めつけてまで、敵を欺く。この捨て身の計略が、のちに「苦肉の計(苦肉の策)」と呼ばれることになります。兵法書『三十六計』にも、敵を信じ込ませる計として「苦肉計」が並んでいます。
第4話 · 赤壁、炎上
決戦の日。
黄蓋は、十数隻の船に薪と油を満載し、「降伏の船」として曹操の船団へ向かいました。風は、ちょうど東南の風。
曹操の陣営は、投降してくる黄蓋の船を、疑わずに迎え入れようとします。距離が詰まったその瞬間——黄蓋は船団に、一斉に火を放った。
炎は折からの風に煽られ、首尾を接した曹操の大船団を、端から端まで舐め尽くした。八十万と号した大軍は、一夜にして崩れ去ります。
正史『三国志』は、このとき黄蓋が流れ矢に当たって寒中の川に落ちたことを、印象的な細部とともに伝えています。味方に引き上げられたものの、それが黄蓋だと気づかれず打ち捨てられ、気力を振り絞って韓当(かんとう)の名を一声叫んだ。その声を聞き分けた韓当に救い出されて、辛うじて生き延びたのです。
身を捨てて敵を欺いた老将の芝居が、天下分け目の一戦を決めた。「苦肉の策」という言葉は、その捨て身の鮮やかさごと、千八百年を超えて、いまに残っています。
いま「苦肉の策」を、ただ「苦しまぎれ」の意味で口にするとき——ほんとうはもっと周到で、もっと捨て身な計略のことだった。黄蓋が自分の背中に受けた杖の痛みが、その言葉の奥に、まだ少しだけ、残っているのかもしれません。