「君子豹変(くんしひょうへん)」。いまは、態度や考えががらりと変わることを言います。たいていは、悪いほうに。
『日本国語大辞典』や『デジタル大辞泉』を引くと、もとは褒め言葉だった、と書いてあります。君子は過ちを改めて、善に移る。その移り方が、はっきりしている、と。
ところが出どころの『易経』を開くと、「君子豹変」の四字は、ずいぶん違う場面に置かれています。
第1話 · 革の卦の、いちばん上
易は、陰と陽の線を六本積み上げた図、卦(け)で吉凶を占う書です。豹が出てくるのは、第四十九の卦、革(かく)。あらためる、という卦で、「革命」という言葉の出どころでもあります。
下から五本目の線には、虎がいます。「大人(たいじん)は虎変す」。変革を成し遂げる主が、虎の縞のように、くっきりと変わる。
そして、いちばん上の六本目に、豹が出てきます。
君子は豹変し、小人(しょうじん)は面(おもて)を革(あらた)む。征(ゆ)けば凶、居りて貞なれば吉(『易経』革卦)
君子は徳のある立派な人、小人は徳のない、つまらない人。君子は豹の斑(まだら)のように変わり、小人は顔つきを改める。そして、なおも事を進めれば凶、正しく留まれば吉。
この一行に添えられた解説、象伝(しょうでん)は、小人のほうを「順(したが)ひて以て君に従ふなり」と説いています。新しい主に、顔を向け直して従う、ということです。
第2話 · 過ちの話は、どこに
では、君子は何に向かって変わるのか。
三世紀、魏の王弼(おうひつ)は、変革の道がもう成ったところで、君子はその文(あや)を成す、と注しました。七世紀、唐の『周易正義(しゅうえきせいぎ)』はもう少し具体的です。虎のように新しい制度を創ることはできなくても、新しい世の大業を飾り整える。豹の模様のように、と。
過ちを改める話は、ここには出てきません。
辞書の説明のうち、「善に移る」に近い読みが確かめられるのは、十一世紀、北宋の程頤(ていい)の注からです。
いくつもの辞書が添える「豹の毛が季節で抜け替わり、模様が美しくなる」という説明も、「季節で」のところをたどると、南宋の朱熹(しゅき)の注に行き着きます。しかも朱熹がそう注したのは、豹ではなく、一つ下の線の虎のほうでした。
第3話 · 降伏の書
「君子豹変」の一行が、実際の政治の場で使われたことがあります。
263 年、魏の将軍・鄧艾(とうがい)が蜀に攻め込み、蜀の二代目の皇帝・劉禅(りゅうぜん)は降伏を決めます。劉禅の名で差し出された書には、こうありました。文案を書いたのは、家臣の郤正(げきせい)です。
敢(あ)へて面を革め、順ひて以て命に従はざらんや(『三国志』蜀書・後主伝)
どうして顔を改めて、従わずにいられましょう。降伏の書は、劉禅を小人の句の側に置いていました。
書を受け取った鄧艾は大いに喜び、返書で、殷の王族が周に降って賓客となった例を引いて「君子豹変、義は大易に存す」と書きました。翌年、洛陽に移った劉禅を安楽県公に封じる魏の策命は、その降伏を「機に応じて豹変す」とたたえています。
降った側は「面を革む」と言い、迎えた側は「豹変」と呼ぶ。いちばん上の線の、小人の句と君子の句が、ひとつの降伏で使い分けられていました。
第4話 · 変わり身の早い人
日本の用例では、たとえば江戸の伊藤仁斎(いとうじんさい)が『童子問(どうじもん)』(1707 年刊)に、こう書いています。聖人がいまの世に生まれたなら、いまの法を用いるはずで、そうなれば「君子豹変し、小人面を革め、天下自ずから治まる」。まだ、ほめる側の使い方です。
明治の用例には、もう風向きの違うものが見えます。福地桜痴(ふくちおうち)の『もしや草紙』(1888 年)には「翻然旗色を替えて君子豹変と出かくる」。夏目漱石の『坊っちゃん』(1906 年)では、赤シャツが「特別の理由もないのに豹変しちゃ、将来君の信用にかかはる」と、「豹変」の二字で主人公をたしなめます。
国会の会議録で確かめられる最も古い「君子豹変」は 1950 年。自分の投票の翻意を、そう弁明した議員の発言でした。
同じ変わり身を、ほめるか、そしるか。決めてきたのは、誰がどちらの側から口にするかでした。