「マニア」という言葉、いま使うのは「鉄道マニア」「映画マニア」のような、あることにとことん詳しく、夢中な人のこと。少しからかって使うこともありますが、基本は「好きが高じた愛好家」を指す一語です。

でも語源をたどると、これは古代ギリシャ語で「狂気」。しかも、ただの病ではなく、神が人に送り込む「神がかり」の状態を指した言葉。狂気が、どうやって「好きすぎる人」になったのでしょう。

第1話 · 神が送り込む狂気

おおもとは、ギリシャ語のマニア(mania / μανία)。「荒れ狂う」を意味する動詞から生まれた言葉で、指すのは「狂気」「熱狂」。我を忘れ、何かに憑かれたように振る舞う、激しい心の状態です。

面白いのは、古代ギリシャの人たちが、この狂気を頭ごなしに悪いものとは見ていなかったこと。デルポイの神殿で神託を告げる巫女は、神の霊気に憑かれ、我を失ったまま未来を語る。酒神ディオニュソスの祭りでは、信女たちが恍惚のうちに踊る。人知を超えた力は、しばしば「神がかりの狂気」の姿でやってくる。マニアは、そんな畏れも含んだ言葉でした。

第2話 · プラトンの弁護

その「神がかり」を、まっこうから擁護したのが、哲学者プラトンです。対話篇『パイドロス』で、師ソクラテスにこう語らせました。

狂気がただ悪でしかないのなら、話は簡単だ。だが実際には、最も大きな善きものは、神からの贈り物としての狂気を通じて、私たちに訪れる——プラトン『パイドロス』

プラトンは、神から来る狂気を四つに数えます。アポロンの予言、ディオニュソスの秘儀、ムーサ(詩の女神)が吹き込む詩の霊感、アフロディテとエロスがもたらす恋の情熱。詩人が言葉を超えて歌えるのも、人が我を忘れて恋するのも、正気の外から降ってくる贈り物、というわけです。

ここでのマニアは、病でも恥でもない。正気のままでは届かない高みへ人を運ぶ、創造と情熱の力でした。

第3話 · 医者の手に渡る

ところが、この言葉にはもう一つの道がありました。医学です。

古代ギリシャの医者たちは、早くからマニアを「病名」として扱いました。ふさぎこむメランコリア(憂鬱)と対をなす、興奮し高ぶるほうの異常。この筋の先が、近代の精神医学です。気分の沈む「うつ」に対して、異様に高揚する状態を、いまも「躁(そう)」=英語で mania と呼ぶ。「躁うつ」の「躁」は、このマニアの子孫です。

神が授ける熱狂だったマニアは、こちらの道では、診察室におりてくる症状の名前になりました。

第4話 · 熱にうかされた人

そしてもう一つの道。マニアは接尾辞「-mania」として、「〜に狂ったように夢中」の意味でも使われます。本に取り憑かれた状態を bibliomania(書物狂)と呼ぶように、「〇〇mania」で「〇〇熱・〇〇狂」を表す。熱病のように一つのことへのめり込む、あのイメージ。

ここで日本語が、ちょっと独自の寄り道をします。英語では、熱中する「人」は maniac、-mania は状態や熱狂そのものを指すのがふつう。ところが日本語の「マニア」は、状態ではなく人を指す名詞として根づきました。「鉄道マニア」は鉄道熱ではなく、鉄道に夢中な人。憑かれたような激しさは薄まり、「好きが高じた愛好家」という、微笑ましい呼び名になったのです。

神がかりの狂気、神からの贈り物、治すべき病、そして——好きすぎる人。ずいぶん遠くまで来た言葉。

でも、好きなものの話になると止まらなくなる、あの人の目のかがやきを見ていると、二千年以上前の「憑かれたような熱」が、案外そのまま残っている気もしてきます。