「奈落(ならく)の底」という言い方をします。落ちるところまで落ちて、もう下がない。株価にも人生にも使います。

いっぽう、劇場で働く人にとっての奈落はまるで違います。舞台や花道の床下のこと。セリや回り舞台の仕掛けが据えられ、役者が消え、また現れる、あの穴です。

どん底と、舞台の下。遠く離れて見えますが、たどると同じ場所に着きます。地獄です。

第1話 · ナラカという音

もとは古代インドの言葉、梵語(ぼんご)の naraka(ナラカ)。地獄のことです。

仏典を漢語に移すとき、訳者には二つの手がありました。意味で訳すか、音を写すか。ナラカは、意味で訳せば「地獄」、音を写せば「那落迦(ならか)」「捺落迦」。

唐の僧・玄応(げんのう)が経典の語を注した『一切経音義(いっさいきょうおんぎ)』は、「地獄」の項でこう書きます。

地獄と言ふは、一義の翻(ほん)なり——言地獄者、一義翻也(『一切経音義』巻六)

地獄というのは、数ある訳し方のひとつにすぎない。ほかの訳もあります。「不可楽(ふからく)」——楽しめるものが何もない。のちの『翻訳名義集(ほんやくみょうぎしゅう)』は「苦具」「苦器」とも並べました。苦しみの、道具。器。

その音写「那落迦」の、はじめの二字だけが日本語に残ります。那落——のちに同じ音の「奈」を当てて、奈落。辞書はいまも「奈落」「那落」「捺落」の三つを並べています。

第2話 · では、底はどこに

では、その底はどこにあるのか。玄奘(げんじょう)訳の『倶舎論(くしゃろん)』は、まじめに測ります。

私たちの住む大陸の下へ、二万踰繕那(ゆぜんな、距離の単位)下ったところに、いちばん深い無間(むけん。苦しみが途切れない、の意)地獄があります。その底までは、地上から四万。上に七つが積み重なって、あわせて八大地獄。

「奈落の底」には、ちゃんと底がありました。しかも数字つき。

もっとも玄応は「或いは山の間に在り、或いは大海の辺(ほとり)、ただ地下のみにあらず」とも書いています。落ちる先は、下とはかぎらない。

第3話 · 那落を免れず

この音が日本の文章に現れるのは、平安の中ごろ。

辞書が引く早い例は『往生要集』(984〜985)。六万もの経を誦(じゅ)した者でさえ「猶(な)ほ那落を免れず」。もう三文字ではなく、二文字です。

「奈落の底」という言い方も古く、『俊頼髄脳(としよりずいのう)』(1115 頃)に出てきます。ただしこのころの底は、地獄の底そのもの。

そして江戸。1694 年の浄瑠璃『文武五人男』に「ならくまでも勘当ぞ」という啖呵(たんか)。地獄の果てまで勘当だ、という意味ですが、辞書はこれを「どん底」の早い例に数えます。場所の名前が、行き着く果てという程度の言い方へ移りはじめている。1746 年の『菅原伝授手習鑑』になると、「奈落の底」はもう、はっきり「どん底」です。

第4話 · 掘った穴と、その名前

1758 年(宝暦八年)、大坂の角(かど)の芝居。狂言作者の初世並木正三(なみきしょうぞう)が、『三十石艠始(さんじっこくよふねのはじまり)』で、独楽(こま)にヒントを得て舞台いっぱいの丸い盆を回します。『並木正三一代噺』によれば、そのために舞台の下は深く広く掘り下げられ、心棒がそこへ通されました。回り舞台もセリも、電気が来るまでは人が床下で動かしました。

穴は、こうしてできました。ではその穴が「奈落」と呼ばれるのは、いつからか。辞書が挙げるいちばん早い書物は、1800 年の『戯場楽屋図会(しばいがくやずえ)』。同じ場所は「地獄」とも呼ばれていました。意訳と音写、地獄と奈落が、そろって舞台の下に落ちてきたわけです。

暗くて地獄のようだったから——事典もこの説明を採ります。ただ、そう名づけた瞬間を書きとめた資料は見当たらず、いつ誰が言い出したのかは、はっきりしないままです。

奈落の底は、四万踰繕那の下にありました。芝居小屋の奈落は、床板一枚の下です。落ちたら戻れないはずの名前を借りた穴から、役者は毎晩きちんと上がってきます。