「出藍の誉れ(しゅつらんのほまれ)」という言葉、いま使うのは「弟子が師匠を超えた」「教え子が先生をしのいだ」とほめるとき。会社なら、手塩にかけた部下が上司の腕を追い越していく——そんな場面でしょうか。
でも語源をたどると、これは戦国時代の思想家・荀子(じゅんし)の書にある一句が変化したもの。しかも、その一句がもともと言いたかったのは「弟子が師を超える」ことではなく、もっと手前の——「学ぶのを、やめるな」という話だったんです。
第1話 · 染物屋の藍甕
藍染というのは、ちょっと不思議な仕事です。原料の藍——タデアイの葉は、摘んだそのままではちっとも青くない。それを乾かし、寝かせ、水に溶いて甕(かめ)を建てる。布を浸して引き上げ、空気にさらすと、そこでようやく——じわり、と青が立ちのぼる。
しかもその青は、もとの藍草より、はるかに鮮やかに青い。この日常の逆説をそのまま言葉にしたのが「青は之(これ)を藍より取りて、藍より青し」——青は藍という草から取り出すのに、もとの藍より青い、という一句でした。
第2話 · 学ぶのを、やめるな
この一句を書き記したのが、戦国時代の末、趙(ちょう)に生まれた儒家・荀況(じゅんきょう)。荀卿(じゅんけい)とも呼ばれます(「卿」が敬称か字(あざな)かは、諸説あって定まりません)。斉(せい)に遊学して学者たちの座長格となり、のちに楚(そ)の蘭陵(らんりょう)の長官をつとめた人です。
人の生まれつきは、放っておけば悪(あ)しきに流れる——性悪説を説いたことで知られます。その荀況の書『荀子』の、いちばん最初に置かれた「勧学」篇。その第一声が、これでした。
学は以(もっ)て已(や)むべからず。青は之を藍より取りて、藍より青し
学問は、途中でやめてはいけない。青は藍より青く、氷は水より冷たい——素材は、加工と努力を経れば、もとを超えられる。だから学ぶのをやめるな、と。この句は本来、「弟子が師を超える」話ではなく、学ぶ人が生来の自分を超えていく、向上の宣言だったのです。
第3話 · 「取りて」が「出でて」になるまで
面白いのは、荀子は「出藍の誉れ」とも「青は藍より出(い)でて藍より青し」とも、じつは言っていないこと。原文の動詞は「取(と)りて」であって、「出でて」ではありません。それがのちに「青、藍より出づ」「青出於藍」と縮められ、日本で訓読されるうち、頭の「出藍」に「〜の誉れ」がついて、いまの慣用句になった。そしていつしか、藍を師、青を弟子に見立てる読み方まで定着します。原典には、そんな対応はどこにも書かれていないのに。
その「出藍」を地で行った実話も残っています。荀子とは時代の違う、後の北魏(ほくぎ)でのこと。李謐(りひつ)という若者は、十八歳のころ学者の孔璠(こうはん)に学び、数年で学識が師をしのぎ、やがて孔璠のほうが弟子の李謐に難問を尋ねるようになった。同門の者たちは、こう評したそうです。
青は藍より成り、藍は青に謝(しゃ)す
青は藍から生まれ、いまや藍のほうが青に一歩をゆずる、と。
第4話 · 誉れではなく、已むな
いま「出藍の誉れ」は、弟子が師を、部下が上司を超えたときの、晴れやかな称賛の言葉です。皮肉なことに、その言葉の生みの親・荀子自身、李斯(りし)と韓非(かんぴ)——のちに秦の丞相となった者、法家を大成した者——という、師の儒家の枠をはみ出す弟子たちを育てました。まさに「出藍」を地で行った師弟です。
けれど、大もとの一句の芯にあったのは、「誉れ」ではありませんでした。荀子が言いたかったのは、ただ一つ——已(や)むな。学びつづけさえすれば、きのうの自分も、もって生まれた素材さえも、超えていける。
藍から、藍より青い青が立ちのぼるように。それはきっと、誰かに勝つ話ではなく、きのうの自分を超えていく話だったのです。