「恋愛」という言葉、いま使うのはごく当たり前。恋愛小説、恋愛結婚、恋愛相談——口にすると少し照れくさいけれど、意味に迷うことはない一語です。
でも、この二文字が日本語に根を下ろしたのは、たかだか百三十年ほど前。しかも不思議なのは、日本語にはもともと「恋」も「愛」もあった、という点です。両方あったのに、なぜ新しい二文字が要ったのか。
第1話 · 「恋」も「愛」も、あった
まず、手持ちの言葉を並べてみます。
「恋」は『万葉集』の昔からある、日本語の芯のような語。ただし江戸まで下ると「色恋」「恋の道」——遊里の匂いが、べったりついてまわる。恋する心を語る言葉は、たいてい「色」の側にありました。
一方の「愛」は、長らく仏教の言葉でした。しかもこちらは、ほめ言葉ではない。渇愛——喉の渇きのように尽きない執着、断つべき煩悩のほうです。あとは、目上が目下をいつくしむ「愛でる」の意味。
材料は、あった。ただ、どれも love を入れるには、器の形が合わなかったのです。
第2話 · 辞書の隅にいた二文字
では「恋愛」は、どこから来たのか。
じつはこの二字、幕末の中国で編まれた英華字典(英語と漢語の対訳辞書)に、すでに顔を出している。メドハースト『英華字典』(1847-48)、ロプシャイド『英華字典』(1866-69)。ただしそこでの「恋愛」は名詞ではなく、「恋い愛する」という動詞でした。
日本で確認できるいちばん古い用例は、明治三〜四年(1870-71 年)の中村正直(なかむらまさなお)訳『西国立志編』。スマイルズ『自助論』の、あの本です。中村はこの二字を、こうした英華字典のたぐいから拾ってきたらしい。
もっとも、歩みはゆっくりでした。日本で編まれた辞書にこの二字が載るのは、明治二十年(1887 年)の『仏和辞林』——フランス語 amour の訳語としてです。同じころ、のちにこの語を決定づけることになる当の青年でさえ、まだ「ラブ」と片仮名で書いていました。
第3話 · 「非恋愛」と言われて
風向きが変わったのは、一つの喧嘩でした。
明治二十四年(1891 年)七月、『国民之友』に徳富蘇峰(とくとみそほう)が「非恋愛」を書きます。人は二人の主には仕えられない。恋愛を取るなら功名を捨てよ、功名を取るなら恋愛を捨てよ——若者を叱る、いかにも明治の論説です。
これに噛みついたのが、女子教育の雑誌『女学雑誌』の主筆・巌本善治(いわもとよしはる)。翌八月、「非恋愛を非とす」で言い返します。
然れども此は恋愛そのものゝ罪にあらず。恋愛は神聖なるもの也——巌本善治「非恋愛を非とす」
恋愛は神聖。遊里の「色恋」から切り離して、恥じるものではないと言い切る。新しい二文字は、このとき旗になりました。
第4話 · 書き出しの一行
明治二十五年(1892 年)二月、同じ『女学雑誌』に、二十三歳の詩人が評論を寄せます。北村透谷(きたむらとうこく)「厭世詩家と女性」。その書き出しが、これでした。
恋愛は人世の秘鑰なり、恋愛ありて後人世あり——北村透谷「厭世詩家と女性」
「秘鑰(ひやく)」は、秘密の鍵。恋愛こそが人の世をひらく鍵で、恋愛があってはじめて人の世がある——。論ではなく、宣言です。島崎藤村や木下尚江(きのしたなおえ)といった若い読者は、この一行に撃たれました。木下はのちに「大砲をぶちこまれた様なもの」と振り返っています。
透谷自身は、この二年後の明治二十七年(1894 年)に世を去ります。けれど、この一行は残りました。のちに藤村は小説『春』(1908)で、透谷をモデルにした青年にこの一句を語らせています。語そのものはこの十年ほどで日本語に落ち着いていましたが、一行のほうは、まだ誰かの口を借りて生きていたわけです。
明治まで日本人が恋を知らなかった、という話ではありません。恋も情も、『万葉集』の昔からありました。海の向こうから来たのは、感情そのものではなく、それを人前で名乗ってよい、という許しのほうです。
「恋愛」の二文字は、新しい感情の名前ではありません。ずっとそこにあった感情が、ようやく手にした器です。