「老馬の智(ろうばのち)」という言葉、いま使うのは「経験を積んだ者の判断は、あなどれない」という場面です。若さや勢いだけではかなわない、年季の入った勘。そういうものへの敬意がこもった一語です。
でも語源をたどると、これは二千六百年ほど前の中国で、道に迷った軍を実際に救ったのが、一頭の老いた馬だった、という話なんです。
第1話 · 春に発ち、冬になっても
舞台は春秋時代、紀元前七世紀の中国。斉(せい)の桓公(かんこう)は、乱れた諸侯をまとめあげ、覇者と呼ばれた実力者でした。その桓公が、北の孤竹(こちく)——いまの河北省の東北部にあった小国——を討つため、大軍を率いて遠征に出ます。前663年ごろのことでした。
宰相の管仲(かんちゅう)と、大夫の隰朋(しゅうほう)も、桓公に従います。ところがこの遠征、思いのほか長引きました。春に出発した軍が、用を済ませて帰路につくころには、もう冬。往きに通ったはずの道は、雪と枯れ野にまぎれて、どこがどこやら分からない。数万の軍勢が、まるごと山中で道に迷ってしまいました。
第2話 · 老いた馬を、放つ
行けども行けども、見覚えのある景色は出てこない。全軍が遭難しかけている。そのとき、管仲が口を開きました。
老馬(ろうば)の智、用(もち)ふべし——『韓非子』説林(ぜいりん)上
老いた馬の智恵は、使える、と。管仲は隊列から年老いた一頭を選んで放し、その後をついて行かせました。すると馬は迷うそぶりもなく歩き出し、軍はやがて、もとの道へ出ることができたのです。
長く生きた馬は、かつて通った道の匂いや起伏を、体で覚えている。人間の描いた地図より、その一頭の記憶のほうが正確だった。総大将が、馬に手綱をあずけたわけです。
第3話 · 蟻に、水を教わる
けれど、苦難はもう一つ待っていました。山中を進むうち、こんどは飲み水が尽きてしまう。渇きは、道に迷うのと同じくらい命にかかわります。
すると今度は、隰朋が言い出しました。
蟻(あり)は冬は山の陽(みなみ)に居り、夏は山の陰(きた)に居る。蟻壌(ぎじょう)一寸なれば、仞(じん)にして水有り——『韓非子』説林上
蟻は寒い冬には日の当たる山の南側に、暑い夏には涼しい北側に巣をつくる。そしてその蟻塚(ありづか)が一寸ほど盛り上がっていれば、その真下、一仞(およそ八尺)のところに水がある——。隰朋がそう言って掘らせると、はたして水が湧き出しました。
小さな蟻の営みひとつから、地下水の在りかを読む。これもまた、書物ではなく、自然を長く見てきた者だけがもつ知恵でした。
第4話 · 韓非の、ため息
この逸話を書き残したのは、戦国時代の思想家・韓非(かんぴ)です。『韓非子』の「説林上」という篇に収められています。そして韓非は、話の最後に、こう書き足しました。
管仲ほどの聖(かしこ)さ、隰朋ほどの智をもってしても、自分の知らないことにぶつかれば、老馬や蟻に教わるのをためらわなかった。それなのに、いまの人間ときたら、自分の愚かな頭のまま、聖人の智恵に学ぼうとすらしない——おかしなことではないか、と。
つまり韓非がこの話で本当に言いたかったのは、「老人を敬え」よりもう一歩きつい。どれほど賢い者でも、知らないことの前では、馬にでも蟻にでも頭を下げる。その潔さのほうを、彼は指さしていたのです。
日本では、そこから角がとれました。「老馬の智」は、経験を積んだ者の判断への敬意として使われています。中国では「老馬識途(ろうばしきと)」、老いた馬が道を知っている、という形で残りました。
道が消えたとき、たよりになったのは、いちばん速い馬でも強い馬でもなく、いちばん歳をとった一頭でした。新しい何かではなく、古い記憶のなかに答えがあること——それを認められる潔さが、二千六百年ぶんの時代を越えて、この言葉を運んできたのかもしれません。