「梁上の君子」。泥棒のことです。梁(はり)——屋根を支える横木の上に潜んでいるから、という説明はつきます。

わからないのは、後ろの二文字のほうです。なぜ泥棒を君子と呼ぶのか。

第1話 · 飢饉の年の、夜

後漢の末、陳寔(ちんしょく)という人がいました。潁川(えいせん)の生まれで、太丘(たいきゅう)という土地の長を務めた人です。

名を知られたのは、清廉さと、争いごとの裁き方でした。持ち込まれれば双方の言い分を聞いて筋を示す。それで納得しない者はほとんどいなかったといいます。村の人が「お上に罰せられるほうがまし、陳君に悪く言われたくはない」と言い合った、という話まで伝わります。

二人の子も名士になりました。兄が上とも弟が上とも決めがたい——「兄たり難く弟たり難し」。『世説新語』が伝えるこの一言から難兄難弟(なんけいなんてい)の語が生まれたのも、この家です。

さて、陳寔が太丘の長を辞して郷里に戻っていたころ。ある年、作物が実らず、人々は食うに困りました。夜、盗人がひとり、陳寔の家に忍び込みます。そして梁の上に身を潜めました。天井板を張らない家では、屋根を支える横木の上に人ひとりが隠れられます。

陳寔は、それに気づいていました。

第2話 · 起きて、身なりを整えた

ここで声を上げれば、話は早く終わります。陳寔はそうしませんでした。

起き上がり、衣服を整え、子や孫を呼び集めます。そして、まじめな顔で訓戒をはじめました。

人は自ら勉めざるべからず。不善の人も、未だ必ずしも本より悪ならず。習い性と成りて、遂に此に至る。梁(はり)の上の君子とは、是なり(『後漢書』陳寔伝)

人は自分を励まし続けなければならない。悪い行いをする者も、もとから悪だったとは限らない。習慣が性質になって、そこまで行ってしまうのだ。梁の上の君子が、それだよ——。

この「習い性と成る」は、『書経』太甲上の一句を踏まえた言い回しです。くり返しているうちに、それが生まれつきのようになる。悪事についてそう言うとき、そこにはもとに戻れるという含みが残ります。生来のものなら直せませんが、習慣なら別です。

家族に向かって話す形をとりながら、その実、上にいる人間に聞かせている。名指しはしない。ただし、気づいていることは伝わる。しかも子や孫の前で、盗人を「君子」と呼んでみせている。

第3話 · 飛び降りて、額を地につけた

盗人は大いに驚いて、梁から転げ落ちるように飛び降り、額を地につけて罪を認めました。

陳寔はゆっくりと諭します。

君の状貌を視るに、悪人には似ず。宜しく深く己に克ちて善に反るべし。然れども此れ、当に貧困に由るべし(『後漢書』陳寔伝)

君の顔つきを見るに、悪人には見えない。深く自分に克って、善いほうへ返るがよい。ただ、これは貧しさのせいだろう——。

そして絹二匹を与えて帰しました。

叱ってから施したのではありません。順序が逆です。悪人には見えない、と先に言い、そのうえで貧しさのせいだろうと本人に代わって理由を挙げ、その理由のほうを片づけている。飢饉の年に手ぶらで帰せば、この人はまた別の家の梁に上がることになります。

絹は当時、そのまま物と換えられる財でした。「匹」は反物の長さを数える単位で、二匹は施しとして軽くない。

第4話 · それから、盗みがなくなった

『後漢書』は、この一件をこう締めます。これより一県に、また盗みをする者がなくなった。

一夜の出来事が県じゅうに伝わった、ということです。捕まえた話としてではなく、捕まえなかった話として。

盗人を突き出せば、罰を受けるのはその一人で終わります。降りるにまかせて帰した話が広まると、聞いた側は自分がその場にいたらどうかを考えることになる。一人を罰して終えるか、話が県じゅうに回るか。どちらを取るかでした。

「君子」という呼び名も、皮肉として響かせるためのものではありませんでした。降りてくる場所を、先に作っておくためのものです。泥棒だと名指しされた人は降りられませんが、君子と呼ばれた人なら降りられる。

いま私たちは「梁上の君子」を、泥棒の少し気取った言い換えとして使います。落語や時代劇の口ぶりに近い、どこか軽い言葉です。

もとの一言は、気取りとは逆の方向を向いていました。梁の上で息をひそめている相手に、降りられる名前を先に渡している。